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<桃李海山・TouriKaizen>

<古典『漢文』参考書>

  • 🔻 2025年 最新版 🔻

<古代中国の歴史を楽しむアイテム紹介>

  • ★日本を知る★< 2024年版 >

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<お勧めリンク>

<生きる知恵とは?・What is the Wisdom of Living? >

  • 本ブログ記事を大幅に加筆修正、全て現代語訳とフリガナを付け読みやすくし、各章ごとに文献と410箇所に詳細な脚注を付けました。ペーパーバック ‏ : ‎ 275ページ ISBN-13 ‏ : ‎ 979-8367192773 寸法 ‏ : ‎ 15.2 x 1.6 x 22.7 cm 発売日 ‏ : ‎ 2023/1/1 (What is the Wisdom of Living? This blog article has been extensively revised and expanded, fully translated into modern language with furigana for readability, and includes detailed footnotes for 410 references across each chapter. Paperback: 275 pages ISBN-13: 979-8367192773 Dimensions: 15.2 x 1.6 x 22.7 cm Release Date: January 1, 2023)

<カテゴリー別記事・過去記事(月年別)>

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2029年12月31日 (月)

〓 古典『漢文・古文』参考書と知慧珠(原文・書き下し文・解説等、参考にどうぞ) 〓

 

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◆『漢籍蟲洞』->古典「漢文」・「漢籍」の、「原文」「書き下し文」「現代語訳」「英訳」ほか…水先案内 ◆


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Koten_kanbun_sankousyo


 
-> English edition  

 


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 「原文・書下し文・現代語訳一部英訳・解説を知る古典『漢文』参考書(電子書籍)を、(01)-(15)に分類し、各・漢文タイトル↓リンクごとに、各・参考書を、「国立国会図書館デジタルコレクション」、「Google books」、そして「Internet Archive」バージョンをまとめた

 2022年5月19日より👉国会図書館個人向けデジタル化資料送信サービスが開始された。 対応する文献は「個人送信」と明記した。

 なお、
1,900年代後半から今世紀初頭に於いて、新たな考古学成果が得られた古典『漢文』と、筆者が概略・コメントを巻頭に付した古典『漢文』には、『タイトル』横に「」印を表記。
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★ 2025年 更新版 
(01) 史 記  (しき・ Records of the Historian)
 ◎ …始皇帝陵墓「兵馬俑発見」 記事しょうかい

     漢 書 評 林(かんじょひょうりん・History of the Former Han)
                    … 訓点付き
                     … 最新の渡辺義浩訳『後漢書』早稲田文庫

     資 治 通 鑑(しじつがん・Zizhi Tongjian)
                    … 紀元前403年から紀元後959年



(02)
戦 国 策  (せんごくさく・Records on the Warring States Period)
      『戦国策』の序文・諸本 記事しょうかい


(03)
春 秋 左 氏 伝  (しゅんじゅう さしでん・Zuo zhuan)
     +α 『春 秋 繁 露Luxuriant Dew of the Spring and Autumn Annals


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(04) 書 経 (尚 書)
 (しょきょう [しょうしょ]・Book of Documents)
     …「考古学的発見情報」 リンク紹介


(05)
論 語  (ろんご・The Analects)
     『大学(Great Learning)』
      中庸
(Doctrine of the Mean)』
      孝経
(Classic of Filial Piety)』
      礼 記
(Book of Rites)


(06)
孟 子  (もうし・Mencius)    


(07)
荀 子  (じゅんし・Xunzi)

     説 苑(ぜいえん・Shuo Yuan)

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(08)
墨 子  (ぼくし・Mozi)


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(09)
老 子  (ろうし・Laozi)
   …「考古学的発見まとめ


(10)
荘 子 ・ 列 子   (そうじ・れっし、Zhuangzi・Liezi)


(11) 淮 南 子
(えなんじ・Huainanzi)


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(12) 孫 子
 (そんし・Sunzi,Sunbin)
    …「考古学的発見まとめ」、
  
孫子Sunzi,Sunbin: The Art of War』、
   『呉子Wu Zi』、
   『司馬法The Methods of the Sima』、
   『李衛公問対・Questions and Replies between Tang Taizong and Li Weigong』、
   『尉繚子Wei Liao Zi』、
   『三略・Three Strategies of Huang Shigong』、
   『六韜The Six Strategies
       以上七書Seven Military Classics

  


(13)
韓 非 子 (かんぴし・Han Feizi)
    管子Guanzi


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(
14)  呂 氏 春 秋 (ろし しゅんじゅう・The Spring and Autumn of Lu Buwei)
     晏 子 春 秋
 
(あんし しゅんじゅう・Yanzi chunqiu)
     蒙 求
 
(もうぎゅう・Meng-qui[Beginner's Guide])
     十 八 史 略
(じゅうはちしりゃく・Outline from Chinese Official Eighteen Histories)
     唐 詩 選
 (とうしせん・Selections of the Tang Dynasty Poems) 


    ◎「唐代以外の漢詩
(The Other Dynasty Poems)

 

-> 『唐詩選』では、初唐、盛唐の詩に限定せず、中唐、晩唐の詩を含む三体詩』、唐代三百年間の漢詩を概見できる唐詩三百首』、さらに唐代以前の詩を収載した古詩源』、また唐以降の詩など、これら詩に対応した日本語訳・英訳書

     世 説 新 語(せせつしんご・A New Account of the Tales of the World [Shishuo Xinyu])
         参考文献(電子書籍):(44) ~ (65)、(106)、(201)~(209)




★2025年 更新版★
(15) 文 選(もんぜん・Wen Xuan)
   『 千 字 文(せんじもん・Thousand Character Classic)


 

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(16)
上記 以 外 ->「 知 慧 珠 
(ちけいしゅ、筆者が作成した漢籍文献の総合リンク集
🔻2025年 追加 更新版🔻
 



(17・番外篇 本ブログ著者のオリジナル書下ろし『身近な言葉の意外な由来・Kindle版



(18番外編) オリジナル 古文文献 リンク集
🔻2025年 大幅 更新版🔻




(19番外編) 歴史に密接に関連する世界の 神話・伝説文献 リンク集
🔻2025年 大幅 更新版🔻




(20文法、漢文読法
)

(20-01)  ◆【第2章】古代中国がさらに面白くなる一冊…史記・左伝・戦国策・諸子百家・漢文読解法
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-07fb.html

->  NEW  注釈を利用して古典を読む。その手法を基礎と実践で学ぶための一冊 
  古勝 隆一『中国注疏講義 経書の巻』 法蔵館 





(20-02) ◆塚本哲三の漢文法シリーズ…基本漢文解釈法』『更訂 漢文解釈法』『標準古典解釈・漢文部
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2022/08/post-18713e.html

-> お勧め 漢文をこれから学ぼうとする人、さらに漢文読解に磨きをかけたい人。
 国立国会図書館のデジタルコレクションから無料でpdfファイルが入手できます。
 百聞は一見に如かず。








21👉国会図書館個人向けデジタル化資料送信サービスde閲覧 )
 => 特に書籍文献の参照を頻繁に必要とする学習者(主に学生)にとって図書館以外の場所(自宅等)でも使える便利なサービスです。

★ 2022年5月19日より国会図書館の

  「個人向けデジタル化資料送信サービス開始。
      ⇒ 本サービスを利用できる条件は、以下三点を満たすことが出来る人です。
        (1) 国立国会図書館の「登録利用者(本登録)」であること。
        (2) 日本国内に居住していること。
        (3) 最新の個人向けデジタル化資料送信サービス利用規約に同意できること。


著作権有効(約1960年代~2000年位)書籍が、絶版等の理由で入手が困難な資料で、著作権保護期間が満了していない、或は著作権保護期間が満了しているかの確認が完了していない資料に限りWeb上個人の端末で、

個人向け

デジタル化資料 
(de)

閲覧 できます ↓ ↓ ↓




(21-01) ◆ 全釈漢文大系33・集英社 (1973-1980)近くに図書館がない。
👉国会図書館「個人向けデジタル化資料送信サービス」de閲覧
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-88f64d.html


(21-02) ◆ 中国古典文学大系』全60平凡社(1967-1975)…個人の端末で中国文化歴史を歴観する。
👉国会図書館「個人向けデジタル化資料送信サービス」de閲覧

https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2025/02/post-f28ada.html


(21-03) ◆ 鑑賞日本古典文学』全35・角川書店(1975-1978)…心の縛りを解いて日本のエンタメを楽しむ。
👉国会図書館「個人向けデジタル化資料送信サービス」de閲覧
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2025/03/post-e89344.html









NEWS  本ページは、Twitterの紹介ブログページtopに設定されました。2024/3/28


NEWS  

-> 2021年7月下旬より タイトルに対応する (A)と (B) を追加しました。

☑ (A) 漢籍用・漢字テキスト電子データベース、従来のデータベース
「中國哲學書電子化計劃
(CTP)」に、「維基文庫」のリンクを追加。 両者の特徴を活かすことが可能となりました。
  CTPは「漢文(繁体字)」電子テキストデータ、一部英訳、および、電子底本(原本の影印本)の閲覧が可能。
  維基文庫
は、「漢文(簡体字・繁体字各種)」電子テキストの閲覧とダウンロード(PDF)が可能

☑ (B) テキスト形式・
電子書籍、Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルグ)のリンクを追加。
  Project Gutenbergでは、HTML, EPUB, Kindle, Plain Text UTF-8, etc. 電子書籍形式による閲覧、ダウンロードが可能。 電子書籍リーダー・PC 等でテキストデータを主に閲覧あるいは利用する場合に便利になりました。
  

 


NEWS

-> 2017年12月と2018年2月に、国立国会図書館より『 国訳漢文大成』デジタルコレクションのインターネット公開が始まりました

 「李白(りはく)、杜甫(とほ)、韓愈(かんゆ)、白楽天(はくらくてん)、蘇軾(そしょく)、陶淵明(とうえんめい)、王維(おうい)、そして、高啓(こうけい)」の各詩集、および、
資治通鑑(しじつがん)、廿二史剳記(にじゅうにしさっき)、宋名臣言行録(そうめいしんげんこうろく)、貞観政要(じょうがんせいよう)、そして、読通鑑論(どくつがんろん)」の歴史・名言・評論書

 中国古典の大作がネット上で無料で読めます。
 詳細は、下記記事…!

◆「デジタルコレクション」で漢籍・漢文を読もう!…(杜甫,白楽天,資治通鑑,  宋名臣言行録,貞観政要,他)『続 国訳漢文大成(文学部,経子史部)』・国民文庫刊行会・国立国会図書館-2018年2月公開-デジタルコレクション◆





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形式別 文献検索

…[例-1] Google books 形式の電子書籍を探す
…[例-2] Internet Archive 形式の電子書籍を探す
 




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(a) バックナンバー月別ブログ記事
(b) カテゴリー分類ブログ記事



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★日本を知る鍵★
< 2024年版 >

【第 1 章】 宮城谷昌光・中国歴史小説で春秋戦国時代を知る…
【第 2 章】 漢文を楽しむ一冊:史記・左傳・漢文法から最新の漢文講義書
【第 3 章】 電子書籍を利用…Kindle、Gutenberg (kindle, epub, html, text, etc.)
【第 4 章】 紙の字書を使う…
【第 5 章】 写真とイラストで見る中国文明と古代中国歴史ドラマ…
知慧珠 ・ 第 6 章】 書き下し文・現代語訳の電子書籍オリジナル総合リンク集
【第 7 章】 漢籍データベースの利用法…
【第 8 章】 マンガで古代中国を楽しむ ! …
【第 9 章】 無料の「繁体字」電子辞書・アプリを使う…



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筆者愛用トラックボール

 






江戸時代後期に描かれた牧野貞幹 『鳥類写生図』




(2025/12/04更新)

 



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2026年2月21日 (土)

◆ 始めるべき時は今!…歴史に残る名勝負「FOREVER YOUNG vs ROMANTIC WARRIOR」'25/2/22 Saudi Cup⁉ ◆

 

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(01)
FOREVER YOUNG
  名前の由来となった曲と歌詞

遂にMV公開!! AK-69「Forever Young feat. UVERworld」(from 11月23日発売 AL『DAWN』)
https://www.youtube.com/watch?v=mQ3yb7SxRZA&t=80s

Go on! You shoud know who we are
Forever Young
Hey! Just next to me from now
大切なことは魂の状態
Forever Young
Hey! It's your turn next time from here

「あの日始めれば良かった」


その次の始めるべき時は

 




(02)
FOREVER YOUNG
   一度抜かれるも、ゴール前100mから再び差し切り、コースレコードで優勝

FOREVER YOUNG defeats ROMANTIC WARRIOR in the 2025 Saudi Cup for Japan! 🇯🇵 サウジ カップ
https://www.youtube.com/watch?v=wD848csjW30

FOREVER YOUNG (No.5, 坂井瑠星)
ROMANTIC WARRIOR (No.9, James McDonald)







本記事は、Xを補足し作成しました。
https://x.com/tourikaizen/status/2023704204708389249

 

 

2026年1月25日 (日)

◆ マラリヤで苦しむ玄宗皇帝を、夢の中で救った大鬼は鍾馗(しょうき)と名乗った…『夢溪筆談』、後に鍾馗は厄病退散の鍾馗人形、幟(のぼり)、魔除札等、邪悪なものを避ける「辟邪(へきじゃ)の神」となった ◆

 

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浮世絵師・月岡芳年の『新形三十六怪撰』より
鐘馗
[玄宗皇帝の] 夢中で鬼を捉えるの図」






 唐の時代、玄宗皇帝は驪山で軍事演習の後、宮殿に戻るとすぐにマラリヤ感染症となり、呪医の甲斐なく癒えずに一か月近く寝込んでいた。 


 ある日、玄宗の夢に大小二人の鬼が現れた。

 小鬼は楊貴妃の香袋と玉笛を盗み宮殿内を走って逃げた。
 大鬼はその小鬼を捕えて目を食いくりぬき、身体を引き裂いて食らった。


 玄宗大鬼に、「お前は何者か」と問うと、「臣は鍾馗
(しょうき)の氏なり」、「ちょうど武挙(武官採用試験)に落ちた士人で、天下の妖怪どもを除き去ります」と答えた。
 夢から覚めると玄宗の病はたちまち直り、体は以前にも増して強くなった。そこで画工の呉道子に「朕の見た夢のように鍾馗を描いてみよ」と命じた。


 これが災いを払う守護神・鍾馗
(しょうき、勝機と読みが同じと喜ばれる)の誕生である。

 玄宗時代の文官・張説
(667-730)『謝賜鍾馗及暦日表』には、唐の朝廷では年末に鍾馗図新しい暦が臣下に配られていたことが書かれている。また、文人・劉禹錫(772-842)『為李中丞謝賜鍾馗暦日表』等にも同様な慣習が続いていたことが残っている。


 平安時代、吉備真備(きびのまきび、695-775)が天平七年(735)唐より第一次帰国したとき、以下の品々を持ち帰ったと『続日本紀』に記されている。


 唐礼一百三十巻、太衍暦
(たいえんれき)一巻、 太衍暦立成十二巻、測影鉄尺一枚、銅律管一部、鉄如方響写律管声十二条、楽書要録十巻、弦纏漆角弓、馬上飲水漆角弓一張、露面漆四節角弓一張、射甲箭廿隻、平射箭十隻


 太衍暦経は唐僧の一行が考案した新しい暦で、一行の死後、張説・陳玄景によって完成した。暦の特色は太陽、月の不等運動を理解し日月食に進歩がみられる。 唐では開元十七年
(729)から広徳元年(763)まで施行された。
 
 これらの状況を考慮すると、吉備真備が太衍暦経と一緒に鍾馗図を日本に持ち帰った可能性が高い。そして
日本にも鍾馗は伝わり、後に端午の節句
(5月5日)鍾馗人形や鍾馗(のぼり)となり現代に至るのである。


 奈良国立博物館には、「辟邪絵(へきじゃえ) 鍾馗
(しょうき)」が所蔵されている。


 本ブログ記事では、鐘馗に関する複数の諸本より、北宋の沈括が纏めた『夢溪筆談』の漢文
(維基文庫)を採用した。尚、原文に登場する小鬼に名前は無い。 他書では虚耗とするものがあるが、本記事では採用しなかった。

 先ず最初に、訓読と現代語訳をGrokに作成していただいた。その後、筆者が訓読文の全体的な訂正と補足を行い、その後、現代語訳を修正した。

 



◎ 本図引用元
(ページトップの図)


芳年『新形三十六怪撰 鐘馗夢中捉鬼之図』,松木平吉,明治35. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1306512



◎ 動画
(Grok Imagineで作成)

https://www.youtube.com/shorts/teW5wSu34Uk






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漢文

禁中舊有吳道子畫鍾馗。其卷首有唐人題記曰、
明皇開元講武驪山、歲翠華還宮。
不怪因痁作將逾月。巫醫殫伎、不能致良。

忽一夕、夢二鬼、一大一小。其小者衣絳、犢鼻屨、一足跣、一足懸一屨、搢一大筠紙扇、竊太真紫香囊及玉笛、繞殿而奔。其大者戴帽、衣藍裳、袒一臂、鞹雙足、乃捉其小者、刳其目、然後擘而啖之。大者曰、「爾何人也。」奏云、「臣鍾馗氏、即武舉不捷之土也。誓與陛下除天下之妖孽。」

夢覺、痁若頓瘳而體益壯。

乃詔畫工吳道子、告之以夢曰、「試為如夢圖。」
道子奉旨、恍若有睹、立筆圖訖以進。
瞠視久之、撫幾曰、「是卿與朕同夢耳、何肖若此哉。」
道子進曰、「陛下憂勞宵旰、以衡石妨膳、而痁得犯之。果有蠲邪之物、以衛聖德。」因舞蹈、千萬歲壽。

大悅、勞之百金、批曰、「靈祇應夢、厥疾全瘳、烈士除妖、實須稱獎。因圖異狀、頒顯有司。歲暮驅除、可宜遍識。以祛邪魅、兼靜妖氛。仍告天下、悉仿知委。」

熙寧五年、上令畫工摹搨鐫板、印賜兩府輔臣各一本。是歲除夜、遣入內供奉官梁楷就東西府給賜鍾道之象。
觀此題相記、似始於開元時。

皇祜中、金陵上元縣發一家、有石誌、乃宋征西將軍宗愨母鄭夫人墓。夫人、漢大司農鄭眾女也。愨有妹名鍾馗。後魏有李鍾馗、隋將喬鍾馗、楊鍾馗
然則鍾馗之名、從來亦遠矣、非起於開元之時。開元之時、始有此畫耳。
鍾馗」字亦作「鍾葵」。
…沈括『夢溪筆談・雑誌』





訓読

 禁中(宮中)に旧(むかし)呉道子が画(えが)鍾馗(しょうき)有り。其の巻首に唐人が題を記して曰(いわ)く、
 明皇
(めいこう、唐王朝の玄宗皇帝の尊称、685-762)、開元(唐代の元号、713-741)に驪山(りざん)で武を講(ならわ、軍事演習を行う)しめ、歳(とし、毎年)翠華(カワセミの羽で飾った皇帝の行列の旗或は車の傘のこと、転じて皇帝の御一行・車列)を宮に還(かえ)す。
 は怪
(あや、体の変調を)しまず、因(よっ、すぐに)て痁(せん、瘧疾[ぎゃくしつ]・マラリヤ)を作(お、起)こし、将(まさ)に月を逾(こ、越える)えんとす。 巫医(ふい、祈祷師・医者)は伎(き、技)を殫(つく)すも、良く致すこと能(あた)わず。 

 忽
(たちま、突然に)ち一夕(いっせき、ある晩)、一大一小の二鬼を夢みたり。 小なる者は、絳(こう、赤)を衣(き)犢鼻(とくび・下着、着装した時の前面のふくらみが、子牛[犢]の鼻に似ているため。犢鼻褌[とくびこん、たふさぎ、股ふさぎ])を屨(は、穿)き、一足は跣(せん、裸足)、一足に一屨(いっく、簡素な履物)を懸(か)け、一大(いちだい、非常に大きな)の筠紙扇(いんしせん、竹の柄[筠]で作られた紙製の扇子・日本の扇子)を搢(はさ)み、太真(たしん、楊貴妃の道号)の紫香囊(しこうのう、囊は袋)(およ)(玄宗皇帝)の玉笛を竊(ぬす)み、殿(宮殿)を繞(めぐ)りて奔(はし)る。 大なる者、帽(かぶりもの・帽子)を戴(いただ)き、藍裳(藍色の衣福)を衣(き、着)、一臂(いっぴ、片腕)を袒(かたぬ、衣を脱いで肩をあらわにする)ぎ、双足(両足)を鞹(かく、皮の靴を履く)し、乃ち其の小なる者を捉(とら)へ、其の目を刳(えぐ)り、然る後 擘(さ)きて啖(くら)う。 大なる者に問いて曰く「爾(なんじ)、何人(なにひと・なんびと)や」と。奏(そう)して云う、「臣は鍾馗の氏なり。即ち武挙(ぶきょ、武官登用試験)(な、成功する・合格する)らずの士(不捷[ふしょう]の士)なり。 陛下と天下の妖孽(ようげつ、災いの兆しとなる怪しく不吉なこと)を除くことを誓う」と。 

 夢 覚
(さ)む。 痁(せん、マラリヤ)(すなわ)ち頓瘳(とんちゅう、たちまち治る)して体 益々(ますます)(そう、さかん)なり。 

 乃ち画工の呉道子を詔
(しょう)し、夢を以て之に告げて曰く、「試(こころみ)の為に夢の如(ごと)くにしてを図(えが)け」と。 
 道子 旨
(むね、意向)を奉(たてま、謹んで行う)つり、恍(あたかも)(ま)た睹(み)えるが若くして、筆を立て図を訖(お)え以て進めり。 
  之を瞠視
(どうし、目を見張って視る)すること久しく、幾(き、へり)を撫でて曰く、「是れ卿とと同じ夢なり、何ぞ此(かく)の若く肖(しょう、似る)する哉(かな)」。 
 道子 進みて曰く、「陛下は憂労
(ゆうろう、心配して悩む)宵旰(しょうかん、天子が夜遅くまで政務に勤勉に励むこと)し、衡石(こうせき、法度に照らし計る仕事)を以て膳(ぜん、食事)を妨(さまた)げる、而して痁を得て之を犯す。果して蠲邪(けんじゃ、邪気を払い病気を治す)の物有り、以て聖德を衛(えい、まもる)す」と。 因て舞蹈(ぶとう、喜びを上に伝える儀式的表現)し、の千万歳を寿(ことほ、長命を祝福する)ぐ。 

  大いに悦び、之に百金を労
(ろう、ねぎらう)し、批(ふ、指摘する)れて曰く、霊祇(れいぎ、霊験あらたかな神) 夢に応じ、欠疾 全て瘳(ちゅう、癒える)し、烈士(れっし、鍾馗妖を除き、実は須(すべから)く称奨すべし(実須称奨:事実を調べ明らかにし褒め称える必要がある)。因りて異なる状(奇異なすがた)を図(えが)き、有司(ゆうし、役人・官吏)に頒顕(はんけん、配り知れわたらせる)せよ。歳暮(せいぼ、年の暮れ)の駆除(追儺)に、宜しく遍(あまね)く識(しき、認識させる)すべし。以て邪魅(じゃみ、邪悪な妖怪)を祛(はら)い、兼て妖氛(ようふん、不祥の気配・妖気)を静めよ。 仍(よ)って天下に告げ、悉(ことごと)く仿(なら、見習う)わせ、(い、委細)を知らしめよ(悉仿知委:残らず見習い周知徹底させよ)と。 

 熙寧五年
(きねい、北宋の元号、1,072)(北宋の神宗、1,067-1,085は画工をして摹搨(ぼとう、模写)、鐫板(せんばん、板を彫る)せしめ、印して両府の輔臣(ほしん、君主を補佐する臣下)に各々一本賜ふ。 是の歳の除夜、入内供奉官(にゅうないくぶかん)の梁楷(りょうかい、南宋の宮廷画家)を遣(つか)わし、東西府に鍾道の象を給賜す。 
 此の記を相
(み)る題を観るに、開元の時に始まるが似(ごと)くす。

 皇祜
(こうゆう、北宋の元号、1,049-1,054)中に、金陵上元県の一家を発(ひら、発掘)くと石誌有り、乃ち宋の征西将軍 宗愨の母・鄭夫人の墓なり。夫人は漢の大司農・鄭衆の女(じょ、娘)なり。愨の妹名に鍾馗有り。 後魏に、李鍾馗有り、隋の将・喬鍾馗、楊鍾馗。 
 然らば則ち鍾馗の名、従来亦た遠きかな、開元の時に起こるに非ず。開元の時、始めて此の画あり。
 「鍾馗」の字は亦た「鍾葵」に作る。

(北宋)沈括(しん かつ、1,031-1,095)夢溪筆談・巻三 雑誌』





現代語訳

 宮中にはむかし呉道子の描いた鍾馗の絵があった。その巻頭には唐人が記載した題があり、次のように書かれている。
 玄宗皇帝は開元年間に驪山で武芸の軍事講習を行った、その年も翠華で飾った皇帝を載せた馬車の一団は宮殿に帰った。 
 皇帝は体調変化を怪訝に思わなかったが、すぐにマラリヤを発症し、一か月を越えようとしていた。 呪医たちは技を尽くしたが、病を治すことはできなかった。 

 ある夕べ、突然、玄宗の夢に二匹の鬼が現れた。 一匹は大きく一匹は小さい鬼だった。 小さい鬼は緋色の衣を着て、犢鼻褌
(とくびこん、下着)を履き、一方の足は裸足で、もう一方の足には一足の鞋(わらじ)を吊り下げ、腰には大きな竹製の紙扇を挿し、楊貴妃の紫の香袋と皇帝の玉笛を盗み、宮殿を走り回った。大きい鬼は帽子を被り、青い衣装を着て、片方の腕をめくり肩を露わにし、両足に皮の靴を履き、小さい鬼を捉え、その目をえぐり、身体を引き裂いて食らった。 玄宗皇帝大きい鬼に、「お前は何者か?」と尋ねた。すると大きな鬼は皇帝を奉つり述べた、「臣は鍾馗氏と申します、そして武挙に落ちた士人です。 陛下に天下の妖怪どもを除き去ることを誓います」と。 

 夢から覚めると、病はたちまち癒え、体はますます強くなった。 

 そこで画工の呉道子を招聘し夢のことを告げて言った、「試しにの見たを描いてみよ」。 
 道子は意向を謹んで理解し、恍惚として、まるで同じ夢を見たかのように、すぐに筆を取り絵を描き終えると差し出した。
 玄宗はこの絵に目を見張り長いこと見つめ、へりを撫でながら言った、「これは、君とと同じ夢ではないか、何とよく似ているのだろう!」 
 道子は前へ進み出て奏上した、「陛下は昼夜を問わず国家を憂い政務に励まれ、山のような仕事に追われ食事もろくに取れず病に犯されたのです。案の定、邪気を払う者があらわれ、陛下の知恵と聖徳をお守りになったのです」。 そこで
(喜びを伝える儀式的な踊りを)踊りながら、陛下に「千万歳も長生きされますように(日本で云う「万歳!」)」と祝った。

 玄宗皇帝は大変喜び、百金を与えて道士の労をねぎらい、批評して言った、「霊験あらたかな神が夢に応じ、病が完全に癒え、烈士・鍾馗が妖気を除き去ったのは、実に称賞に値することである。したがって、この異様な鍾馗の姿を図に描き、役人達に頒布せよ。 歳末の邪気を祓う儀式の時に、当然、広く隅々まで行き渡らせて、認知させるべきである。 そして邪悪な妖怪を祓い、同時に不祥の気配を静めよ。 このようにして天下に告げて、残らず見習うように周知徹底させよ!」と。 

 熙寧五年
北宋の神宗は画工に命じて模写し、板を鐫(うが)ち、印して両府の輔臣に各一本を賜った。その年の除夜、入内供奉官の宮廷画家・梁楷を派遣し、東西府に鍾道の象を配給した。 
 この題記を見ると、開元の時に始まったようである。
 
 皇祐の年、金陵の上元県で一軒家を発掘したところ石誌があり、それは宋の征西将軍・宗愨の母鄭夫人の墓であった。夫人は漢の大司農・鄭衆の娘である。愨には妹がいて鍾馗という名であった。後魏には李鍾馗がいて、隋の将には喬鍾馗、楊鍾馗がいた。 
 そうであるならば鍾馗の名は古くからあり、開元の時に起こったのではない。開元の時に、この絵が始まっただけである。
 「鍾馗」の字は「鍾葵」とも書く。

(北宋)沈括『夢溪筆談・巻三 雑誌』

 





◎ 参考文献

(01) 夢溪筆談巻三、雑誌 維基文庫
https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E5%A4%A2%E6%BA%AA%E7%AD%86%E8%AB%87/%E8%A3%9C%E7%AD%86%E8%AB%87#%E9%9B%9C%E8%AA%8C


(02_個人送信) 宋沈括撰, 清陶福祥校『夢溪筆談26卷補筆談3卷續筆談11卷校字記1卷 [4]』陶氏愛廬刊(光緒32)・国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/2580813/1/38


(03) 木下葵峯『桑華蒙求 3巻 [2]』「道士鍾馗」・刊,天保15. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/2575247/1/109


(04_個人送信) 永尾竜造 著『支那民俗誌 第一巻』第二章・元旦の神々、第三節、291頁「鍾馗」・支那民俗誌刊行会,昭和15. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/1749769/1/209
『天中記』に唐逸史を引いた鍾馗の記事あり。
鍾馗と貧乏神の関係ほか。



(05) 古川 智恵子, 中田 明美, 1985, 衣の系譜に関する研究 : (第1報)褌の系譜とその機能性(Studies on the Genealogy of Clothes : (1) On the Genealogy of the Loincloth and its Function: 1–12 p.)名古屋女子大学紀要(Journal of the Nagoya Women's College)巻 31, p. 1-12, 発行日 1985-03-01・名古屋葵大学 機関リポジトリ
https://nagoya-wu.repo.nii.ac.jp/records/1143


(06) 山口 建治, 鍾馗と牛頭天王 -「郷儺」の伝来と日本化-: 神奈川大学日本常民文化研究所 非文字資料研究センター, 年報 非文字資料研究 6号, 1–14 p. , 発行日 2010-03-20, 神奈川大学日本常民文化研究所 非文字資料研究センター・公開日 2019-04-11, 神奈川大学 学術機関リポジトリ

https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/records/8114


(07) 『答吳道子進畫鍾馗批』 作者:李隆基 唐 (玄宗)・維基文庫

https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E7%AD%94%E5%90%B3%E9%81%93%E5%AD%90%E9%80%B2%E7%95%AB%E9%8D%BE%E9%A6%97%E6%89%B9
靈祗應夢,厥疾全瘳,烈士除妖,實須稱獎。因圖異狀,須顯有司,歲暮驅除,可宜遍識,以祛邪魅兼靜妖氛。仍告天下,悉令知委。…『全唐文』巻37


(08) 『謝賜鍾馗及曆日表』作者:張說 唐・維基文庫
https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E8%AC%9D%E8%B3%9C%E9%8D%BE%E9%A6%97%E5%8F%8A%E6%9B%86%E6%97%A5%E8%A1%A8
臣某言:中使至,奉宣聖旨,賜臣畫鍾馗一及新曆日一軸者。猥降王人,俯臨私室,榮鍾睿澤,寵被恩輝,臣某中謝。臣伏以星紀回天,陽和應律,萬國仰維新之慶,九霄垂湛露之恩。爰及下臣,亦承殊賜:屏袪群厲,繢神像以無邪;允授人時,頒曆書而敬授。臣性惟愚懦,才與職乖,特蒙聖慈,委以信任,既負叨榮之責,益懷非據之憂,積愧心顏,騅勝惕厲。豈謂光回蓬蓽,念等勳賢,慶賜之榮,賤微常及,感深犬馬,戴重邱山。無任感荷之至。
…『全唐文』巻223


(09) 『為淮南杜相公謝賜鍾馗曆日表』作者:劉禹錫 唐・維基文庫
https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E7%82%BA%E6%B7%AE%E5%8D%97%E6%9D%9C%E7%9B%B8%E5%85%AC%E8%AC%9D%E8%B3%9C%E9%8D%BE%E9%A6%97%E6%9B%86%E6%97%A5%E8%A1%A8
臣某言:高品某乙至,奉宣聖旨,賜臣畫《鍾馗》一、新曆日一軸。星紀方回,雖逢歲暮;恩輝忽降,已覺春來。臣某中謝。伏以圖寫威神,驅除群厲。頒行律曆,敬授四時。施張有嚴,既增門戶之貴;動用葉吉,常為掌握之珍。瞻仰披尋,皆知聖澤。無任欣戴之至。
…『全唐文』巻602


(10) 『為李中丞謝賜鍾馗曆日表』作者:劉禹錫 唐・維基文庫
https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E7%82%BA%E6%9D%8E%E4%B8%AD%E4%B8%9E%E8%AC%9D%E8%B3%9C%E9%8D%BE%E9%A6%97%E6%9B%86%E6%97%A5%E8%A1%A8
臣某言:中使某乙至,奉宣聖旨,賜臣畫《鍾馗》一、新曆日一軸。恩降雲霄,光生裏巷。雖當歲暮,如煦陽和。臣某中謝。伏以將慶新年,聿修故事。繢其神象,表去厲之方;頒以曆書,敬授時之始。微臣何幸?天意不遺。無任感戴屏營之至。
…『全唐文』巻602


(11)  「辟邪絵 鍾馗(へきじゃえ しょうき)H055895」1幅 紙本 著色 掛幅、縦25.8 横45.2 絵画 平安時代~鎌倉時代 12世紀・奈良国立博物館・収蔵品データベース
https://www.narahaku.go.jp/collection/1106-0.html


(12) 中山 薫 著『吉備真備の世界』岡山文庫210 、63頁十 吉備真備第一次唐渡航による将来の品々」・日本文教出版株式会社(2009/9/11)
https://amzn.to/4pWr16k


(13_個人送信) 村松一弥夢溪筆談』について解説 473頁)・『中国古典文学大系 56巻 記録文学集』,平凡社,1969. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/12574295/1/244



(14) 瀬戸裕子「木下公定編纂『新撰自註桑華蒙求』叙文を読む」『岡山県立記録資料館紀要』(11),岡山県・岡山シティーミュージアム. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/10319492



 

本記事は、X投稿記事↓を補完し、ブログ記事を作成しました。
https://x.com/tourikaizen/status/1978008020698407223

 

 

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2026年1月17日 (土)

◆ 努力にかんする言葉…Xより「葬送のフリーレン」フェルンの名言 ◆



左から弟子の魔法使いフェルンとフリーレン


葬送のフリーレン (2) (少年サンデーコミックス)

 





 「葬送のフリーレン」は名言が数多く登場する。


 今週もXに「君を応援する魔法」として投稿されていたので紹介しよう。


 今月から受験シーズンに入ることを考慮してか、フェルンの自信に満ちたイラストと一緒に(1)の言葉がXに
流れ、たくさんのイイネとリツイートが行われていた。


 これは参考記事に挙げたように、竜との戦いに不安を覚えるシュタルクを励ますため、フェルンが自分の経験からシュタルクに
必要なものは覚悟だけだったのです。必死に積み上げてきたものは、決して裏切りません と伝えた場面からとられた名言です。


(1)「必死に積み上げてきたものは、決して裏切りません」…フェルン『葬送のフリーレン』 君を応援する魔法
https://x.com/FRIEREN_PR/status/2012404518932377812







 人生究極のテーマの一つともいえる「努力」について、人々の言葉を(2~10)にランダムに揚げてみました。

 あなたはどう思いますか?



(2)「昨日の自分は決して今日の自分を裏切らない」…浅田真央



(3)「報われない努力はある。でも、その経験は無駄にはならない」…羽生結弦
「2022年北京五輪」

努力は嘘をつく。でも無駄にはならない。努力の正解を見つけることが大切」…羽生結弦「2018年 平昌オリンピック・金メダル」




(4)「自分自身を裏切らない努力の姿勢が未来の結果として現れてくる」…羽生善治
(将棋棋士)



(5)「努力ってのは宝くじみたいなものだよ。買っても当たるかどうかはわからないけど、買わなきゃ当たらない」…北野武
(ビートたけし)




(6)「才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ」…水木しげる
(幸福の七か条より第五条)

 


(7)「走った距離は、裏切らない」…野口みずき
「2004年 アテネ五輪金メダリスト」




(8)「努力は裏切らない」…宇津木 妙子
(シドニー五輪で銀メダル・全日本女子ソフトボールチーム監督)




(9)「人は信じても裏切るが、芸は決して裏切りません。精出して励めば励むだけの答えを出してくれます」…林えり子
『ぶんや泣き節くどき節』1983年




(10)「努力は効果の有り無しによって、すべきであるとかすべきでないとかを判断すべきではない。努力ということが人の進んで止むことを知らない人間の本性であるから努力すべきなのである」…幸田露伴
『努力論』

 






関連記事

◆🪄 葬送のフリーレン」Vol. 2 …「心に響いた言葉 🪄◆
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2024/03/post-c19633.html

必要なものは覚悟だけだったのです。必死に積み上げてきたものは、決して裏切りません

 

◆ 平櫛田中の彫刻作品・中国八仙の一人「張果老」…瓢箪から駒(ひょうたんからこま)◆
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-c70d.html

今やらねば いつできる わしがやらねば 誰がやる」…平櫛田中(ひらぐし でんちゅう、1872-1979、彫刻家)




 

2026年1月15日 (木)

◆ 油条の由来は岳飛を無実の罪で裁いた南宋の政治家・秦檜夫妻だった!? ◆



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Vandro 油条(中華揚げパン) 300g (6本入) ×1 袋 (Vandroロゴ付包装)





 油条(ゆじょう、油で揚げた棒状の物)は、粥や焼餅とともに中国を代表する惣菜の一つである。 

 小麦粉に塩味をつけて練り、発酵させ、油で揚げた30㎝位の細長い棒状
(二本の棒をひねって揚げる)の食べ物である。 そのまま食べるほか、長方形の焼餅を二つにわり、中にはんさんだりもする。 切ってスープに浮かしたり、お粥のおかずにもなる。 また、豆乳に塩味、あるいは甘味をつけたものと一緒に食べる。

 油条は、油炸檜、油炸鬼、油炸果、油炸餜とも呼ばれる。
 これらは、みな音通で油炸檜」から派生したと考えられる。


 油炸檜とは、南宋の政治家「(しんかい)揚げ物」の意味である。


 油炸檜は、南宋時代 が北方の遊牧民族・と結び、忠臣・岳飛を殺したことを憎んだ人々が作ったという。
 当時はの権勢が強く、表立って批判する事がかなわず、小麦粉で二本の棒状を作り、揚げて、夫妻を油で揚げたとし、溜飲を下げていたのである。


 

 1,127年(靖康二年) 北宋は、北方の遊牧民族・女真族の金軍に、北宋の首都・開封(かいほう、中国河南省、当時は汴京)を包囲され、北宋(首都は杭州、当時は臨安)の第九代皇帝・欽宗と父の徽宗の二人をはじめ、宋室その他数千名を北方へ拉致され、金の俘虜となるという「靖康の変(北宋滅亡)が起きた。


 同時に、南宋の政治家・(しんかい、1,090-1,155、1,115に年科挙合格)は、北宋亡き後の傀儡国家を立てることに反対し、金に1,127年連れ去られた。

 三年後、金の実力者・撻懶
(だらん)の対宋工作を推進するという条件のもと、良好な関係を構築し、和平派となったは、金から解放され南宋の初代皇帝・高宗(徽宗の九男、1,107-1,187)の元に帰還する。そして翌年には宰相となり、金との交渉を担当することになった。

 は、宋学学派に弾劾され、一旦宰相を辞したが、さらに金に抑留されている生母・韋氏
(いし)の召還を望む高宗が、再びを宰相に起用し、金との和平交渉を進めさせた。
 1,138年
(紹興八年)金と第一次和議を結んだ。


 金軍との戦いで武勇に優れ戦果を挙げていた、南宋の将軍・岳飛(がくひ、1,103-1,142)韓世忠が活躍していた。 彼らは民衆に華北回復の希望を抱かせていた。 
 そして、岳飛ら戦争継続派に賛成する政治勢力と共に、金と交渉を進めるを筆頭とした和平を進める講和派とは、激しく対立していた。

 当時は義理を重視する思想 宋学が流行しており、金との和平は、士大夫ら知識層の反感をよんでいた。 これに対し、は高宗を後ろ盾に言論弾圧(文字の獄)を行い、反対派を徹底的に抑圧していった。

 そして遂に1,142年(紹興十二年)は、 二十八年間にわたる両国の和議を成立させ、戦争継続派の韓世忠、岳飛(39才)、子の岳雲(23才)らを戦線から召喚し、反逆罪で逮捕殺害(杭州の風波亭で「十年の苦労は一朝にしてことごとく廃せしめられた」歎いて獄死)され、その後、二十年間、政権を維持した。そして金と南宋に平和な時代が訪れる。

 岳飛についていえば、金の重装備兵の弱点を衝いて、もっぱら軍刀で金の軍馬の脚をなぎ倒し、重装備をつけた金兵を動けなくするという戦法で金軍に恐れられた。 しかし高宗の基で和平を図るの撤退命令(召還令)を受け、南宋の臨案(現・杭州)に戻ると、岳飛は反逆罪を着せられ無念にも殺されたのであった。


 無実の罪で殺された岳飛
(親子)は、死後30年余りして冤罪がはれ、名誉は回復され諡名(おくりな)をうけ杭州の西湖のほとり岳王廟に祀られ神様となった。 そして北虜南倭に苦しんだ明中期以降、後手を鎖でつながれ跪(ひざまず)いた夫婦の鋳鉄像がつくられ、岳王廟を訪れるものはこれを売国奴として憎まれてきたのである。 
 ここで何故、が一緒に恨まれるのかというと、岳飛を殺すことにためらいがあったが、に励まされて、ようやく殺すことにしたのだ、という言い伝えがあったからだといわれている。


 が和議に専念したのは極めて現実的な判断にもとずいている。 巨額の軍事費を節約し、戦争による人民の負担を軽くしようと考えていた。 実際、は文官に経済的な権限を与え、軍人に対しシビリアンコントロールを行っていた。 に対する現代の歴史家の評価は、従来の「売国奴」から「和平を維持した政治家」であったとも解釈されている。


 憎い人物を食べ物にするという発想に、イスラエルのハマンタッシェン(Hamantaschen)という菓子がある。
 旧約聖書の物語でユダヤ人を滅ぼそうとした宰相ハマンの「
(あるいは帽子)の形を模しており、彼の敗北を祝って食べられる伝統的なお菓子である。
 人々が考えることは国を越えて共通していることが分かる。

 


参考文献

(01) 『世界風俗じてん 2』三省堂(1978.10)・ 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/12185884/1/62

(02) 『うるわしの島・台湾 : ガイド・ブック』,台湾観光協会(1978.10)・国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/13179762/1/107

(03) 岡本隆三 著『意外史中国四千年 : 誤解だらけの歴史と故事・名言』,新人物往来社(1985.5)・ 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/12209091/1/97

(04) 葉明城 著『横浜中華街中華食品の本』,三水社(1989.12)・ 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/13297899/1/92

(05) 押田洋子 文・絵『中国お皿の上の物語 2』東京書籍(1994.10)・ 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/13298948/1/28





関連記事(中秋節に食べられる伝統的な円形の菓子・月餅

お菓子の月餅・げっぺい…元を倒し明王朝を建てた朱元璋の月餅逸話とは?
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2023/11/post-f2f692.html

柔らかな肉料理「豚の角煮」の元となった中国の「トンポーロー・東坡肉
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2025/09/post-0656d3.html


 

 



2025年12月11日 (木)

◆ 価格改定のお知らせ…著書『身近な言葉の意外な由来』◆

 


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読者 各位



拙著『身近な言葉の意外な由来』の価格改定(税込み)のお知らせ🐈

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275頁 …価格 1,980円(旧価格 1,540円)
キンドル 電子版 406頁 …価格  480円(旧価格 770円)
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電子版と紙版と内容は同じ。電子版は本文に附した[番号1~410]をクリックすると、本文画面下に対応[番号]の脚注が表示されます。




身近な言葉の意外な由来

紙版






2025年12月 9日 (火)

◆ メモ:日本で読める『杜騙新書』リンク集、アメリカのSNSでバズッた明代の詐欺手口と防衛策「The Book of Swindles」 を受けて ◆


The-book-of-swindles
The Book Of Swindles




 日本、アメリカ、ヨーロッパで読まれる古代中国の逸話本
(歴史的な小話、寓話、奇談、人物エピソードなど)をxAIのGrok3に調査依頼し、概略を調べていただきました。

 

 その結果、
2025年12月時点において、共通して読まれているものは、以下5点でした。

世説新語』…小説の走りとも云われる奇想天外な話が多いが、ウイットに富んだ短い会話も多くSNS向きで広がる。

搜神記』…Netflix「三体」以降のファンタジーブームを牽引。

聊斎志異』…以前より「チャイニーズゴーストストーリー」「画皮」等の映画で高い知名度を誇る。

今古奇観』…「三言二拍」から選ばれ大学の中国文学入門に使用されよく読まれる。

笑林広記』…ジョークの古典、話が短くSNSに載せやすい。



 一方、アメリカの実売ランキングを見ると、近年急上昇している明末の詐欺話集「The Book of Swindles: Selections from Late Ming China
(張応俍/Christopher Rea訳・2017年)」が注目されます。この話は、TikTokやRedditでバズり、2,024-2,025年に大幅に売上を伸ばしています。
 中国400年前の詐欺の手口が「今と全く同じ」と話題になっているのです。



 というわけで、明末の詐欺話集「The Book of Swindles: Selections from Late Ming China」、日本では江戸時代に読まれた『杜騙新書(とへんしんしょ)』について「日本で読むには何を観ればよいのか?」という点に焦点をあて、
WEB閲覧可能な書籍を中心に、筆者が調べた書籍・データベースの「リンク集」情報をいち早く読者にお届けすることにしました

 尚、本ブログでは全ての記事に於いて、公共図書館・大学図書館に蔵書されている書籍は調査対象です。また、Webで閲覧・DL可能な個々の論文・概説は Google Scholar を使い「杜騙新書」で各自検索し適宜PDFでお読みください。

 先ず、最初に『杜騙新書』について簡単に紹介し、次いでリンク集を挙げます。
 
 興味のある方は、是非Webで日本人の特技「訓読を活かして」お読み下さいね🐈

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杜騙新書(とへんしんしょ、中国語: Dù Piàn Xīn Shū)は、中国・明代の張應兪(ちょうおうゆ)が著した、江湖(流浪の民や裏社会)で流行した詐欺の手口とそれに対する防衛策をまとめた、中国初の詐欺をテーマにした短編小説集(または実用書で、別名『騙經』とも呼ばれ、江戸時代に日本にも伝わり、翻訳もされました。

主な特徴
内容: 江湖の様々な騙し方と、それを防ぐ方法を、24のカテゴリーに分け、84の短い物語(話)で紹介しています。
作者: 明の万暦年間の人物で、作者自身が江湖を渡り歩いた経験に基づいて書かれたと言われています。
形式: 各話の終わりに作者のコメント(按語)があり、通俗的な文章で書かれており、庶民向けに市販されていました。
日本での受容: 江戸時代には『江湖歴覧杜騙新書』として伝わり、五瀬鼂貞(いつせ ちょうてい)などが翻訳しました。

意味
(Du): 杜絶(とぜつ)つまり「防ぐ」「絶つ」という意味です。
(Pian): 騙す、詐欺のことです。
新書 (Xin Shu): 新しい書物、教え、という意味合いです。
要するに、「詐欺を杜絶(防ぐ)ための新しい書物」という意味で、当時の詐欺の実態を知り、身を守るための実践的な知識書、あるいは教訓的な物語集として読まれていました。…(Google検索より)

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『杜騙新書』リンク集

(01) 《杜騙新書》中國哲學書電子化計劃
https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=136159

(02) 作者:張應俞 明『杜騙新書』 維基文庫
https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E6%9D%9C%E9%A8%99%E6%96%B0%E6%9B%B8

(03) 杜騙新書 by active 16th century-17th century Yingyu Zhang ・Project Gutenberg
https://www.gutenberg.org/ebooks/24021

(04) 杜騙新書 by Zhang, Yingyu, 16th/17th cent.・Internet Archive
https://archive.org/details/pgcommunitytexts24021gut

(05) 著者:張応兪(明)『鼎刻江湖歴覧 杜騙新書』4巻、写本、江戸初(旧蔵者・林羅山)・国立公文書館デジタルアーカイブ
https://www.digital.archives.go.jp/file/3611079.html

(06) 『江湖歴覧杜騙新書』菱屋孫兵衞(1818)・慶応義塾大学・Google books
https://books.google.co.jp/books/about/%E6%B1%9F%E6%B9%96%E6%AD%B4%E8%A6%A7%E6%9D%9C%E9%A8%99%E6%96%B0%E6%9B%B8.html?id=MI8T7BpVvcEC

(07) 新刻江湖歴覽杜騙新書4卷【全号まとめ】・国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/13704420

(08) 張応兪 著, 河原英吉 訳『杜騙新書訳解 巻上』大倉孫兵衛(明12.10)・国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/896577

(09) 張応兪 著, 河原英吉 訳『杜騙新書訳解 巻下』大倉孫兵衛(明12.10)・国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/896578

(10) 馬場譲得 閲『支那小説訳解2〕』東海義塾(明治33)・国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/896493/1/104 ここから杜騙新書
https://dl.ndl.go.jp/pid/896493/1/130 48頁(以降、ページ欠損

(11_個人送信) 鶴見尚弘『杜騙新書とその和刻本(193-208頁)、『歴史論集 : 生江義男先生還暦記念』生江義男先生還暦記念歴史論集刊行委員会(1978.11)・国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/12143812/1/115?keyword=%E6%9D%9C%E9%A8%99%E6%96%B0%E6%9B%B8

(12) The Book of Swindles: Selections from a Late Ming Collection (Translations from the Asian Classics) Paperback – September 5, 2017
by Yingyu Zhang (Author), Christopher G. Rea (Translator), Bruce Rusk (Translator)
https://www.amazon.com/Book-Swindles-Selections-Collection-Translations/dp/0231178638?
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公共図書館情報(2025/12/10追記)

記載情報は県立図書館のWeb検索結果を使用。筆者は現時点で未読。

(13『杜騙新書』訳 注稿初編
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I026259269
発行者:「『杜騙新書』の基礎的研究」プロジ ェクト、出版年月:2015.3、人名:[張 応兪/作]   伊藤 加奈子/著   佐立 治人/著   氏岡 真士/著、ページ数:156
目次:
1 道士のふりをして塩使をだます
2 陳全が計略で名妓をわがものとする
3 膏薬を目に貼って銀塊を奪う
4 道士が船の中で金をすり替える
5 死神がお札を焼き人を殺すと騙す
6 鵞鳥を盗むと詐り称して黒い布を持ち逃げする
7 まず銀を預けておいて後で持ち逃げする
8 馬を借りて絹織物をだまし取る
9 白昼堂々豚売りを騙す
10 職人を装って両替商の引出し附き机を修理するふりをする
11 学道の手紙と詐って吉夢を知らせる
12 詐ってほうきの柄を使って駕籠かきを翻弄する
13 坊ちゃまのふりをして妓女を仲間にいかさま博打
14 商売仲間の金を盗んで自分の金を無くす
15 御曹司が部屋を借りて未亡人の家財を強奪
16 鏡を持っていたため船中で狙われる
17 荷物担ぎが船から陸揚げされた積み荷を運び去る


(14『杜騙新書』訳 注稿二編
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I029002135
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I30111103071132
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1970304959905024677
発行者:「『杜騙新書』の基礎的研究」プロジ ェクト、出版年月:2018.3、人名:[張 応兪/作]   閻 小妹/著   伊藤 加奈子/著   井上 正夫/著   氏岡 真士/著   佐立 治人/著、ページ数:174
目次:
1 里長に出くわしたのを利用して茶壺を持ち逃げする
2 混雑に乗じて堂々と店の反物を盗む
3 他人の家を借りて布をただ取り
4 道で荷物を紛失したといってすり替え
5 偽の銀錠を真と両替する
6 路地の入口で布を買うと偽って持ち逃げ
7 飲酒や女郎買いをそそのかし相手の財産や評判を損なう
8 仲良しに不倫を仕向けて田畑を巻き上げる
9 友人の借金を一挙に借金返済に充てさせその家を傾ける
10 仲良しをけしかけ不倫を訴えて家をだめにする
11 ずるい仲買人が紙代をごまかし娘を差し出して償う
12 資金繰りに困った仲買人が蠟を売り払って借金を返す
13 もっともらしい言葉で人をけしかけ誘って再び賭博させる
14 賭博を好んで反って人の術中に落ちる
15 御曹司を詐称して取引用の銀を盗む
16 衣服や持ち物を見せびらかして盗みたくさせる
17 傲慢な気質が訴訟を招き財産も生命もそこなう
18 受験生を駕籠に乗せて隘路に入る
19 値段を高く吊り上げて反って利益を失う
20 品物を引き渡すと詐って質屋を襲う
21 都の店に馬賊
22 こっそりスタンプを捺して寝具を奪う
23 石灰を目にぶちまけて銀を強奪する
24 大便中に悪者に白昼強盗される
25 船が召使いや荷物を載せて逃げる
26 妾を囲って船に載ったら夜にさらわれた
27 銅製品を買って船頭に謀殺される
28 行李を担いで間違えて別の船に往く
29 偽の元宝銀を仕掛けて田舎地主をだます
30 冒州で漂白【ソウ】を摑まされる
31 役所に入って裁判官の言葉を聞き、外に出て騙す
32 わざと重罪を求刑して犯人の罪を軽くする
33 小役人が囚人を叱って責打の刑を分担する
34 女がくず拾いに嫁入りして殺人
35 媒酌人が挙人をだまして命婦を娶らせる
36 よその土地で妾を囲って訴訟沙汰に巻き込まれる
37 人妻を娶った策略が蛙によって明るみに出る
38 『杜騙新書』と南方熊楠 閻 小妹/著 氏岡 真士/著
39 『杜騙新書』の明刊本にについて 氏岡 真士/著 閻 小妹/著
40 あぶくの告発 佐立 治人/著


(15『杜騙新書』訳 注稿三編
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I032723989
発行者:「『杜騙新書』の基礎的研究」プロジ ェクト、出版年月:2023.3、人名:[張 応兪/作]   伊藤 加奈子/著   井上 正夫/著   氏岡 真士/著   閻 小妹/著   佐立 治人/著、ページ数:197
目次:
1 銀で裏をかいて紙を乾かす女を買う
2 和尚が絹を切って小作人の妻をもてあそぶ
3 風水師が妻を使って良い子種を得る
4 他人の侍婢と姦通して銀を盗まれる
5 仲買の娘に手を出して騙される
6 弟嫁をそそのかして姦通させて油売りを騙す
7 嫁に手を出し嫁の義理のおばも騙して関係する
8 小作人の嫁が体を売り地主の田畑を騙し取る
9 女三人が馬三頭を乗り逃げする
10 尼僧が数珠玉をまき散らして誘惑する
11 目を刺され足を斬られ障碍を抱える
12 宦官が人を煮てその精髄を服用する
13 面と向かって銀を学道に渡すふりをする
14 退職官吏が部屋の中で封印の紙を貼る
15 銀を封印したふりをしてレンガにすりかえる
16 空き部屋で銀を封印し人をわなにかけて奪う
17 便宜目当てのよそ者を引きつけて騙す
18 銀を店主に寄託して盗まれ逃げられる
19 和尚が牝牛を母だと認める
20 孩児丹を服用して辟穀と詐る
21 僧に騙され信じ込んで危うく死刑になりかける
22 伽藍神に似た僧が詐って寄付を求める
23 偽って予知と称して絹の服を騙し取る
24 深い穴の底で丹薬を煉って長い札を打ち込む
25 煉丹を信じて一家に害をなす
26 丹を精錬して逃げ難く毒薬を投ずる
27 法術をかけた水に姿を映して謀反をそそのかす
28 妖術で夢枕に立ってその家で強盗する
29 “顔撫で賊”が幼児を誘拐する
30 父が子を尋ねて自ら女郎買いにはまる
31 『杜騙新書』の国立国会図書館蔵抄本について 氏岡 真士/著 閻 小妹/著
32 『杜騙新書』の国立国会図書館蔵抄本について 氏岡 真士/著 閻 小妹/著
33 『杜騙新書』における包公 氏岡 真士/著

 







2025年11月26日 (水)

◆ 3,000年ぶりに鳳翔で見た“二度目の夜明け” ― 竹書紀年とStellariumで蘇った紀元前899年の朝 ◆

 

Stellarium-253-2025_11_24-23_51_20
紀元前 899年4月21日 午前5時52分32秒

鳳翔の金環日食

Stellarium 25.33使用

方位角/高度 +82°20'/3°29'
食分 0.957
食の割合 91.00%

出時刻 5h34m
正中時刻 11h59m
昼の長さ 12h4m


 

 

 「紀元前899年4月21日、

 鳳翔の空で実際に起きたこと

 ―― 
夜明けになり、太陽が昇り始めた。

 ところが11分後、空が急に暗くなった。

 そしてまた明るくなった。

 これが “二度目の夜明け” ――

 3,000年後の私たちは、

 無料ソフトStellariumで、

 その瞬間を、

 自分の目で確かめることができる。」






 中国古代王朝、「夏」、「商
(殷)」、「周」 三代の、具体的な年代を確定(同定)するプロジェクトを中国語で、”夏商周断代工程”といいます。

 この要旨は、本ブログ記事「夏商周年表プロジェクト…夏商周断代工程(2014年2月22日 (土)」に簡潔に記しました。

 この国家重点科学技術プロジェクト(1,996年5月より2,000年9月の五年間)が終り、簡易版の報告書が2,000年11月10日に発表されました。

 従来確定されていた最も古い年代は、周の共和元年・紀元前841年でした。 2,000年には、それ以前の夏・商・周時代の具体的な年代が発表されました。 以後、これらの結論と研究方法論に対し、世界的な議論が活発に為されました。

 そして、さらなる考古学的発掘による年代の裏付けを行うべきである」という慎重な考えから、完成版の2,003年報告書提出は国家に承認されませんでした。その後、幾度も継続し議論を重ねました。

 そして、「夏・商・周年代確定プロジェクト報告書」完全版は、研究終了2,000年から22年の時を経て、2,022年に出版されました



 古代中国、竹に書かれた古い歴史記録誌『竹書紀年』には、「周代の懿王の元年にdouble dawn(二度の暁)が起きた」、すなわち「二度目の夜明け」を迎えたと記録されていました。

 この「二度目の夜明け」 という記述は、「夜明け直後に起きた日食である」と、日食の年月日を天体計算から「紀元前899年4月21日の日の出直後である」と導き出したのが、NASA(アメリカ航空宇宙局ジェット推進研究所)で働いていたPang, K. D.博士らでした。彼らは1,987年、アメリカ天文学会年次総会に「二度目の夜明け」の時代考証を発表したのです。

 その後、「二度目の夜明け 」は彗星、或は単に象徴的な話であるという説も検討されましたが、現在では「夜明け周辺に起きた日食」であるという説が支持されているようです。


 本記事は、冒頭に紹介した筆者ブログ記事から11年の時を経て、夏商周断代工程の補足記事なります。



 それでは、三千年前 古代中国の鳳翔(ほうしょう、Fengxiang)という場所で起きた double dawn二度目の夜明けを、初期に検証した論文を【1】と【2】で紹介し、【3】で、筆者が天文計算プログラムStellariumで条件検討し、「二度目の夜明け」を再現した結果を画像付きで紹介いたします。
 


 Pang, K. D.博士らが天文学的手法で得られた紀元前899年4月21日の日食に対する検証・反駁の意見は現在も活発に記論されています。 筆者は、これら論文の計算手法や得られた結論について意見するものではありません。本ブログ記事は夏商周断代工程で検討された天文学的手法で得られた鳳翔の日食を参考にし、Stellariumプログラムで視覚的に「二度目の夜明け」を再現することを目的に記事を作成しています。






【1】 ''日食により中国で「二度目の夜明け

が訪れた''…NASA Pang, K. D.博士らの発表





 最初に「二度目の夜明け」が起きた紀元前899年を、日食計算から導き出したNASAのPang, K. D.博士の1,988年の論文は、以下のようです。

Pang, K. D. , ''Computer analysis of some ancient Chinese sunrise eclipse records to determine the earth's rotation rate'', Vistas in Astronomy, 1988, 31 : 833.

 この論文は筆者には「入手困難」であり、実はその内容を読んでいません。 今回は、論文の代わりに、1,987年にLos Angeles Timesが、Pang, K. D.博士の発表記事をWeb公開していますので、その記事を一番目の研究論文(概要)として日本語に訳して紹介します。


Lee Siegel, ''Eclipse Made 'Day Dawn Twice' in China : NASA Scientist Solve Ancientt Riddle'', Los Angeles Times, Jan. 25, 1987 12 AM PT.
https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1987-01-25-me-5800-story.html

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リー・シーゲル、''日食により中国で「二度目の夜明け」が訪れた'' :NASAの科学者古代の謎を解く

 NASAの天文学者は、日食のため「夜が二度明けた」時に関する中国の謎を解き、王の治世の日付を定め、紀元前899年に地球がどれだけ速く回転していたかを知った
 紀元前899年の地球の一日が現在よりも4万3000分の1秒短かったという発見は、「中国でのお茶の値段が変わるわけではないが、科学的に興味深いことだ」とアメリカ天文学会年次総会で研究を発表したケビン・D・パン氏は述べた。

 この発見は、アメリカ航空宇宙局ジェット推進研究所のパン氏、英国ダラム大学の物理学者ケビン・C・ヤウ氏、カリフォルニア大学ロサンゼルス校東アジア言語文化部のフンシャン・チョウ氏による古代中国の年代記の研究に基づいている。

 竹簡に記されたことから『竹書紀年』と呼ばれるこの年代記には、「中国古代の出来事から紀元前299年頃までのあらゆる重要な出来事が記録されているとパン氏は述べた。「おそらく時代を超えて受け継がれ、(王室の)宮廷年代記編者によって絶えず更新されてきたのだろう」
 西周の史書には「西周の懿王元年の春、鄭という所で二度夜明けがあった」と記されており、鄭は現在の陝西省華県付近にある。
 パン氏とその同僚は、地球が太陽の周りを回る歴史と月が地球の周りを回る歴史のコンピューターシミュレーションを実行し、その年代記は紀元前899年4月21日の夜明け直後の月による日食について言及しているに違いないと判定した。
 「私たちは古代の文書の謎を解いた。それは、これまでに知られていなかった王の治世の始まりの正確な日付(年)を示しているため、歴史的に興味深いものだ」とパン氏は語った。
 パン氏は日食中の太陽、地球、月の位置を計算することで、紀元前899年の地球の公転速度が、つまり、当時は日がいまよりずっと短かったということです。
 「地球の自転速度は少なくとも40億年前から遅くなり続けていることは一般的に知られています」とパン氏は述べ、同氏の研究以前は正確な自転速度は紀元前700年までしか知られていなかったと付け加えた。

 紀元前899年4月21日は、太陽が昇る直前の日食によって本当の夜明けが中断されたため、一日が二度明けました。
 『竹簡』は紀元前299年、魏の襄王と共に埋葬されたことで終焉を迎えました。龐煥は、この埋葬によって、万里の長城と兵馬俑の建設に貢献した秦の始皇帝による破壊から竹簡を救ったと述べています。始皇帝は、見つけた竹簡をすべて焼き捨てました。
 パン氏によると、281年に墓泥棒が湘帝の墓を破り、宝石やその他の貴重品を盗んだが、年代記は「晋王朝の最も著名な学者」とその後の研究者による研究のために残されたという。

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【2】 夏・商・周 年表プロジェクト

中国科学院国家天文台チームの発表





 次に、二番目の研究論文として紹介するのは、Pang, K. D.博士ら1,987年の研究を検証し、1,999年に夏商周年表プロジェクトとして発表された、空の明るさをモデル化して視覚効果を定量化することを改良した中国の論文です。


著者: LIU Ciyuan (劉次元), LI Jianke (李建科), ZHOU Xiaolu (周曉陸), Study on ''double dawn'' Science in China (Series A) November 1999、Vol.42 No.11.


 上記論文はWebより入手できます。今回、筆者が英語から日本語に翻訳しました。




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Vol.42 No.11 Science in China (Series A) November 1999、著者: LIU Ciyuan (劉次元), LI Jianke (李建科), ZHOU Xiaolu (周暁陸)
著者: 中国科学院国家天文台のチーム(夏商周断代工程の天文グループ)。Pang SunjooのNASA計算を「検証・改良」した中国側版で夏商周簡本(2000年)の基盤。

内容のポイント(日本語要約):  「double dawn」(二度目の夜明け)の科学的検証  
 原文: 《竹書紀年》の「懿王元年、天再旦于鄭」。  
 計算: Pangの前899年4月21日(金環日食)を採用。鄭(陝西省華陰付近、緯度34.5°N, 経度109.8°E)で日の出直後(午前6時12分)に食分0.953。  
 新発見: 空の明るさ(luminance)をモデル化 → 太陽が欠け「薄暗くなる」→ 6分後に回復で「二度目の朝」の視覚効果を定量。代替年(前871年など)は食帯ずれで不適合。  
 図表: 図1(日食帯地図)、図2(空の明るさ曲線)。
 原文抜粋訳: 「この現象は、日の出金環日食のみで再現可能。鄭の位置が首都西安近郊と一致し、周王朝の年代を前899年に固定する。」(p.1228-1230)。

  
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Vol. 42 NO. 11 中国科学(シリーズA)1999年11月 1224-1232頁

二度目の夜明け」に関する研究 * 

劉次源
(中国科学院陝西天文台・国家天文観測所、臨潼 710600、中国) 
李建科
(オーストラリア国立大学数学部天体物理理論センター、ACT 0200、オーストラリア) 
周暁陸
(西北大学史学科、西安 710069、中国) 
受理日:1999年6月20日
* 中国科学院夏山州年表プロジェクトおよび院長基金の支援を受けたプロジェクト。

要旨:「懿王元年、鄭に二度目の夜明けがあった」という古代の記録は、中国初期年代記の重要な手がかりとなっている。この現象に関連する天文条件と可視領域の分布は、このような「二度目の夜明け」現象について議論し、古代天文現象の計算精度と現在の問題点を示す。これに基づき、紀元前1000年から紀元前840年までのすべての日食を計算し、それらに関連する「二度目の夜明け」の特徴を調査する。「二度目の夜明け」は紀元前899年4月21日に発生した日食であるという結論が最も妥当であることが確認された。

キーワード
:天文学史、年表、日食。

 「懿王元年、鄭に二度目の夜明けあり」[1]。これは中国の古代文献『竹書紀年』に記録されており、鄭で発生した古代の皆既日食現象であると考えられている。日食によって空が明から暗へと変化したことは、古代の人々に「二度目の夜明け」の印象を与えた。西周時代の懿王の年は、紀元前1年よりも前であったためである。中国紀の始まりである公和天皇の時代、「双暁」の記録の研究は、中国の年代記に大きな進歩をもたらす可能性がある。舅舅[2]がこの記録を古代の日食と解釈した先駆者となって以来、多くの学者が研究を行ってきたが、得られた結果は大きく異なっている[3]。その中でも、紀元前899年4月21日の日食帯の東端が陝西省華県であったという、Pang[4]による研究が最も説得力があるように思われる。これは唯一の偶然の一致であった。しかし、スティーブンソン[5]はこの結論に異議を唱えた。

 この問題を解決するには、日の出日食によって引き起こされる空の輝度変化を、理論的および観測的に体系的に調査する必要がある。日食係数、太陽高度、天候の違いによって、空の輝度はどのように変化するのだろうか?人間の目は空の輝度とその変化をどのように感知するのだろうか? それを数学的にどのように表現するのだろうか?

 私たちは晴天時の日の出時の空の輝度を測定した。そして、空の輝度と太陽高度(天候要因を考慮)の間に経験的な関係式を得た。これにより、特定の場所と日付における空の輝度を時間の関数として計算することができる。「二度目の夜明け」の過程は、視空輝度[6]として表現することができる(測定された空の輝度は視空輝度に変換できる)。二度目の夜明けの主な特徴は、昇天期の空の輝度の短い下降であるため、10分間の視輝度の減少に基づいて二度目の夜明けの強度を定義する。これにより、任意の場所における空の輝度と二度目の夜明けの強度を計算することができる。

 この理論を検証し、人間の目が顕著な「二度の夜明け」を感知できる臨界二度の夜明けの強度を決定するために、太陽圏の西端である新疆ウイグル自治区北部で大規模な空の輝度観測を実施した。 1,997年3月3日、日食帯において、60名から18か所36件の報告を受け、その結果は我々の理論計算を裏付けるものでした。「二度目の夜明け」の強度(以下、強度)が0.1を超えると、この現象は明らかに見られ、0.5を超えると、その特徴は非常に強くなります[6,7]。同様に、南カリフォルニアの観測者も、1,992年1月4日の金環日食の際に「二重夕暮れ」現象を報告しました[8]。



1 二度目の夜明けの強度線と配置


 文献[6]の分析によると、特定の場所における強度は、最大食率、最大食時の太陽高度、そして天候によって決まります。文献[6]の図3は、晴天時の強度曲線を、食率と太陽高度(単位:°)の関数として示しています。曇りの日には強度が低下します。各地点の強度が分かれば、地図上に強度の等しい線(等高線)を描くことができます。図1は、1,997年3月9日の日食の夜明けの等高線(以下、等高線)を示しています(強度0.1、0.2、0.5、1.0の4本の線)。また、日食係数と太陽高度の等高線も示されています。示されている都市は観測地点であり、基本的に様々な強度をカバーしています。

 前の議論は、「二度目の夜明け」現象の特徴の一つ、すなわち空の輝度の減少に基づいていました。 この特徴は、強度線を右方向に発散させ(図1)、等高線が広い範囲を覆うことが予想されます。 しかし、二度目の夜明けのもう一つの特徴は、夜明けと強く関連していることです。つまり、二度目の夜明けは、空の輝度が明らかに増加している時間に発生しなければなりません。図1と、参考文献[6]の関係式(3)および(4)は、太陽が地平線から5度昇ると、視覚的な空の輝度の増加が鈍化し、太陽高度が10度になると横ばいになることが示されています。


Fig_1

図1. 1997年3月3日の新疆の日食。



太陽が日の出から高度10度まで昇るまでには約1時間かかります。言い換えれば、空の視輝度は安定しており、日中はほとんど変化しません。そのため、たとえ小さな係数の日食であっても、短時間で空の輝度が一時的に低下することになります。しかしながら、これはもはや夜明けとは関連がありません。この点を念頭に置くと、二度目の夜明けの等高線をさらに限定することができます。

 「二度目の夜明け」現象の最大太陽高度を10度に制限し、強度が高度5度から10度まで直線的に減少すると仮定しました。参考文献[6]の図3を修正して、図2を作成しました。縦軸は特定の場所における最大日食係数、横軸は最大日食時の太陽高度です。このようにして強度分布が得られ、その等高線を日食マップに組み込むことができます。日食帯の西端の等高線は、修正後、不規則な多面体になります。

Fig_2

図2. 「二度目の夜明け」強度、日食係数、そして太陽高度それぞれの相関。



地上における日食帯の形状は大きく変化しますが、その端点の形状には、幅と方向という2つの基本的な特徴があります。
 幅は基本的に日食係数と地理的な緯度によって決まります。したがって、図3に示すように、日食係数の大きさに応じて、緯度30~40度の領域の等高線の基本形状を得ることができます。



Fig_3


図3. 二度目の夜明けの等高線の基本タイプと構成。





 図3では、横軸は経度、縦軸は緯度を示しています。日食係数の異なる値に対して、0.92から0.04までの値が示されています。太い実線は中央日食帯で、左端(閉じている)は最大日食時の日の出、右端(開いている)は最大日食時の太陽高度10度を表しています。「二度目の夜明け」現象は中央日食帯の西端付近で発生します。薄い色の領域は強度が0.1以上、濃い色の領域は強度が0.5以上です。図3に示すように、すべての日食は二度目の夜明け現象を引き起こす可能性があります。その強度は日食係数に比例し、最も強い領域は日の出が終わった場所です。




2 日食計算における誤差範囲。


 日食計算は最も困難で複雑な天文学的計算の一つですが、現代の観測技術の高精度と理論の網羅性により、日食の位置と時刻は依然としてかなり正確に計算できます。一方、コンピュータの発達により、計算ははるかに容易になりました。しかし、この計算方法は過去数百年間の正確な観測結果のみに基づいているため、数千年前の出来事にそのまま適用すると、かなりの誤差が生じる可能性があります。現代の太陽と月の位置の計算には、ある程度の古代の観測結果が取り入れられていますが、古代の記録の正確さと信頼性の不確実性のために、結果は満足のいくものではありません。天文学者は、計算精度を向上させるために、できるだけ多くの正確な古代の天文学的記録を見つけたいと考えています。

 日食の計算精度は、太陽と月の位置の精度に依存します。太陽と月の位置を計算するための公式は、天文学ではエフェメリス(ephemeris)と呼ばれます。伝統的な解析的手法に基づくこの公式には、長期(平均黄経)と数千の周期項が含まれます。古代の天文現象の計算にはそれほど高い精度は必要ないため、周期項の誤差は通常無視されます。しかし、計算期間が非常に長いため、長期間にわたる誤差の蓄積は非常に大きくなり、計算結果に深刻な影響を与える可能性があります。

 エフェメリスに入力される独立変数は時間ですが、人々が使用した基本的な時間基準は自転(日)です。地球の自転速度は、かなり不均一です。現代の観測により、地球の自転速度は、1年ごと、半年ごとの周期的な、数十年単位の不均一な変動と、エネルギーの散逸に関連する減速した長期的な変化を持つことが確認されています。潮汐摩擦やその他の不明なメカニズムによって、地球の自転によって定義される時刻(世界時・Universal time)は、理想的な均一な暦時(Ephemeris time)とΔTだけ異なります。これは主に、地球の自転速度の減少(スピンダウン)の長期的な蓄積によるものです。西周の懿王の時代にまで遡ると、ΔTは約6時間で、計算された日食帯は経度で90度以上西にシフトすることになります。これは、古代の人々が地球の自転時間を使用していたのに対し、計算式に代入されているのは均一な暦時(Ephemeris time)であるため、明らかに異なる結果が生じるためです。

 長期間にわたる日食計算における誤差は、主に潮汐加速による月の平均経度項と、地球の永年自転変化ΔTの不確実性に起因します。地球の永年自転変化に関する明確な概念が確立されたのは、20世紀半ばになってからでした。それ以前には、天文学的な計算が成功し、現代の計算と古代の観測との間の不一致(理由は不明)が修正され、その修正が暦に組み込まれ、全般的な整合性が確保されていました。そのため、前世紀末のオッポルツァーの研究に基づく『日月食全典[宝]』[9]における古代日食の計算結果は、地球の永年自転速度の大きな変化を無視していたにもかかわらず、今日でもほぼ正確です。このように、この種の計算方法、「張さんの帽子を李さんにかぶせる(成語:张冠李戴[人・事物を取り違える,善人や正常な事を悪人・困乱した事と取り違える、筆者)」ような方法は、現在でも一部の地域で効果的に採用されています[10]。

 月の平均経度における潮汐加速度項(n、単位は "/cy^2  [cy=century、筆者])と地球の永年自転変化(c、単位はs/cy^2)とはどちらも時間の2乗の次元を持ち、月の位置を計算する際に同様の役割を果たします。古代の観測はこれらの項の線形結合に限定されており、両者を分離することは困難です。
 関係式

 ΔT = cT2

(Tは西暦1,800年以降の世紀数)が存在します。

 ブラウンの理論に基づく「改良月暦(ILE・Improved Lunar Ephemeris)」は、n = - 22.44を採用し、天文学者の間で長年使用されてきました。これに基づいて適切なcの値を用いることで、古代の月の位置を計算することができます。近年、永年平均月経項nを求める観測と理論において大きな進歩が遂げられています。したがって、nは現在、古代の観測とは独立して、正確な現代の観測によって直接決定できます。
 過去20年間の衛星の潮汐擾乱、月のレーザー測距、数値潮汐モデル、月の掩蔽、水星の太陽面通過などの進歩により、nは -25から -27の範囲になりました。n = -26.2[11]という値はNASAの正確な天体暦 DE 102で採用されていますが、天文学者は一般的に古代の天文現象の計算に n= -26.0[12]を使用します。比較を容易にするために、ここでは後者を採用しました。

 地球の永年自転速度の変化は月の平均経度の項よりも複雑であり、前者は理論と現代の観測では得られません。それを得る唯一の方法は、古代の天文学的記録を使用することです。最近の研究では、この項もまた変数であり、上記の式は近似値による平均値に過ぎないことが示されています。例えば、バビロニアの日食記録(紀元前390年の平均の元期)[13] からは c = 32.5、アラビアの記録(西暦950年の平均の元期)からは c = 25.0という値が得られています。より最近の包括的な結果は、スティフェンソンとモリソン[12] によって示されています。西暦700年以降のすべての観測に基づく「c」の平均値は31です(それ以前の記録はありません)。参考文献[12]の図2ー5は、「c」が28~34の間の任意の値になり得ることを示しています。この「c」の範囲は、紀元前900年頃の日食において、日食帯の東西方向への18度以内のシフトという不確実性を含んでいます。



3 「二度目の夜明け」日食の計算


 前述のように、二度目の夜明けは日食帯の西端の場所だけに発生する可能性があります。ここでは、n = - 26.0、c = 28.0を用いて、紀元前840年から紀元前1,100年までの、西端が中国付近であった古代日食をすべて計算しました。図4には、各西端の周囲10度以内の二度目の夜明け強度等高線がプロットされており、領域の暗さが異なる強度を示しています:I > 0.1、I > 0.2、I > 0.3、I > 0.4。また、日食の日付、種類、日食係数(ユリウス暦を使用)も示されています。
 3つの点はそれぞれ鳳翔(フォンシャン[陝西省]・左)、西安(シ-アン[陝西省]・中央)、華県(ホワシェン[陝西省]右)を表しています。歴史家たちはこれまで鄭の位置について明確な答えは出ておらず、鳳翔と華県が提案されてきました。

 地球の永年自転速度の変化が不確実であるため、日食帯は18度東方向(c = 34に相当)移動する可能性があります。この領域におけるいかなる解も、地球の自転に関する既知の結果と矛盾しません。


Fig_4

図4. 中国 紀元前1000年から紀元前840年における 二度目の夜明け 現象の可視時間 。



図4は、「二度目の夜明け」の条件を満たす日食は2つしかないことを示しています。 一つは紀元前899年4月21日(c = 28-30)で、もう一つは紀元前871年10月6日(c = 32-34)です。天文学的な条件から見ると前者の方が後者よりも強く、歴史的な条件から見ると後者は殆どあり得ません。したがって、紀元前899年4月21日の日食が唯一の選択肢となり、「懿王元年、夜が二度明けた」という記録をほぼ完全に説明します。

 図4に示すような状況(c = 28)では、鳳翔における(二度目の夜明けの)感度(I = 0.1)は、参考文献の図4C2に示す1997年3月9日の日食における塔城(ターチェン・新疆ウイグル自治区)[6]における感度(I = 0.09)に匹敵します。華県の感度(I = 0.24)は、同じ文献の図4B2と図4C2の間の感度に匹敵しますが、塔城の感度よりも強いです。西安近郊の感度は、鳳翔と華県の中間です。図4(c = 28)のケースを例に、紀元前899年の鳳翔と華県(県都)における日食のパラメータを以下のように表にします。

 表1では、高度と方向の単位は度、時間は北京標準時です。
現地時間への変換:鳳翔で50分、華県で41分を減算) c の値を変えると、日食の状況も変化します(c が小さくなると、2か所の強度は大きくなり、逆に大きくなると小さくなります)。大気の屈折と太陽半径を考慮すると、太陽高度が-0.8度の場合、通常は日の出とみなされます。これは「理想的な」水平線ですが、現実的な水平線は地域の地形によって異なります。


表1 紀元前899年の鳳翔(Fengxiang)と華県(Huaxian)における日食
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場所               鳳翔 (経度107.4/緯度34.5)       華県 (経度109.7/緯度34.5)
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                         時間 高度 方向係数               時間 高度 方向係数
最初の接触          5:23/-12.4/19N of E/0.000     5:22/-10.9/18N of E/0.000
日の出(華県)                                                6:12/-0.8/11N of E/0.831
最大                   6:21/-0.9/11N of E/0.952       6:20/0.9/9N of E/0.953
日の出(鳳翔)       6:21/-0.8/11N of E/0.946
h=5の時              6:50/5.0/7N of E/0.518          6:40/5.0/7N of E/0.662
係数=0.1の時       7:17/10.7/3N of E/0.100         7:17/12.6/1N of E/0.100
最後の接触          7:24/12.1/2N of E/0.000         7:24/14.O/East/0.000
二度の夜明け I              0.10                                       0.24
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日付 899-04-21BC JD 1393174、採用パラメータn = -26、c = 28、ΔT = 340分、日食係数(両地点)0.953、体感時間 177秒


 これで「二度目の夜明け」に関する異なる結果を議論できるかもしれません。


 Stephenson[5]は、主に2つの理由からPang[4]の結果を反駁しました。第一に、紀元前899年の日食は実際には環状(金環日食タイプ:地球と月の距離が皆既日食より離れているため月が太陽を完全に覆い隠すことが出来ず太陽から環状に光が漏れ皆既日食より空が明るくなる、筆者)であった。環状日食に対する目の感度は皆既日食とは全く異なる。第二に、Pangはc = 29.5を採用したが、正しい値はc = 43.3であるはずであり、この場合、鄭では日の出の1時間前に日食が発生し、空の輝度変化は観察されなかったはずである。[6]で結論付けられているように、日食係数が0.92であっても、二度目の夜明け現象は依然として観察可能であった。また、Stephenson[12?]はその後の研究でcの値を約31としていることもここで言及する。

 半世紀前から、学者たちは「二度目の夜明け」の記録の少なくとも 6 つの結果を提案してきました。「二度目の夜明け」の年である紀元前899年以外にも、劉浩安[2]による紀元前926年と紀元前903年、董作賓による紀元前966年、葛芬[15]による紀元前925年、そして張培玉[16]による紀元前919年があります。地球の自転パラメータの不確実性を考慮し、以下ではこれら5つの日食を記述するための領域を与えます。

 紀元前903年7月3日 皆既日食。西安での最大日食は9時30分から11時10分、日食係数は0.7~0.6。西端はアラビア海にあり、図4には見えない。
 紀元前919年10月26日 皆既日食。西安での最大日食は6時20時~7時20分、食率0.5~0.6。モンゴルから中国北部にかけての西端は図4で見える
 紀元前925年9月3日の金環日食。西安で7時50分~9時20分(日の出6時15分)、食率0.75~0.8。西端は新疆南部で、図4で見える
 紀元前926年3月21日の金環日食。西安で13時40分~15分、食率が最大。食率0.8~0.95。西端は東アフリカで、図4では見えない。
 紀元前966年5月12日の皆既日食。西端は太平洋で、中国では見えない。
 上記の5つの日食は二度目の夜明けの条件を満たしません。紀元前926年の金環日食は西安近郊で大きな日食係数で観測できたかもしれないが、その時刻は午後であり、夜明けではなかった。



4 「二度目の夜明け」に関する更なる分析


 前の分析で示したように、周の首都では紀元前899年4月21日の早朝、空が明らかに暗くなる日食が発生し、これは懿王の治世元年全体を通して唯一の日食であった。以下では、結論に関連して「二度の夜明け」の記録についてさらに考察する。

 中国では、皇帝の役人が様々な天体現象の発生を観察し記録し続けるのが伝統でした。発掘された「神託碑」に刻まれた碑文がそれを証明しています。「天が暗くなる」という伝統は、すでに商王朝に存在していました。商王朝の甲骨文には、日食と月食が記録されていました。様々な史料によると、西周初期にはこれらの官吏が王に仕え、天文現象や気象現象を観察し、占ったり、記録したりしていました。当然のことながら、彼らは日食や月食、そして雲や嵐についても熟知していました(日食を予言することはできなかったもの)。「空が暗くなる」という現象は、日食、非常に厚く暗い雲、竜巻や砂嵐、あるいは空を覆うイナゴの大発生など、様々な要因によって引き起こされる可能性があります。専門的な天体観測官吏にとって、そして一般人にとってさえ、これらの自然現象を見分けることは難しくありませんでした。観測者の記録から、彼は「二度目の夜明け」に困惑したに違いありません。したがって、山や雲に遮られた日食は、「二度目の夜明け」の最も合理的な説明となります。Aletai(新疆ウイグル自治区アルタイ地区、筆者)からの観測報告は、このことを最もよく裏付けるものかもしれません。空に注意を払っていたものの、日食の予兆を知らなかった人にとって、二度目の夜明けはまさに衝撃的なものでした。

 「鄭」の場所(の特定、筆者)については、まだ合意に至っていません。鄭に関連して、南鄭、西鄭、大鄭宮、楡林、石などがありましたが、鳳翔か華県のどちらかである可能性があります。いずれにしても、西周の首都である西安の近く[3]でしかあり得ません。図4に示すように、日食の計算に関する限り、この地域全体すべてに可能性があります(もちろん、華県の方がやや高い可能性もある)。表1の計算によると、日の出は北東11度で起こり、太陽高度は10~12度日食係数は0.1に低下し、肉眼ではほとんど見えない状態だった。地平線近くの雲や霧、山や森林は日食を遮る可能性があったが、「二度目の夜明け現象の形成を妨げることはありませんでした。その地域の現在の気候では、晴天であっても地平線近くに厚い雲や霧が発生するのが一般的です。古代の書物では、このような状況を星々が「塵に入る」と表現し、天体現象を記録しています。鳳翔の北側は海抜1~7kmの山岳地帯に位置し、華県の南側は海抜2.5kmにも及ぶ秦嶺山脈(秦嶺は古代に崑崙と呼ばれた、筆者)の稜線上にあるため、日食が遮られる可能性はありました。鄭の正確な位置は不明であるため、地平線に関する詳細な地理学的考察は省略します。

 「二度目の夜明け」の記録は歴史上類を見ないものでした。西周初期に発生したため、歴史的な背景があったに違いありません。もし観測官が新月を熟知し、日食に関する基本的な計算ができるようになっていたなら、「空が暗くなる」現象が日食によって引き起こされることを容易に理解し、「二度目の夜明け」として記録することはなかったでしょう。漢代以降には「日食」に関する古代の記録はありますが、それ以降の二度の夜明けの記録は存在しません。歴史的に見ると、初期の西周は、官僚たちが天体現象を注意深く観察し始めた時代でしたが、日食の法則については無知でした。

 古代の天文学の記録には、観測地に関する記述がほとんどありません。これは、それらの記録が王に近かった宮廷の天文学者によって記されたものであり、観測地は間違いなく王都であったからです。『竹書紀年』などの史料によると、穆以降の王は鄭宮に居住していました。 「二度目の夜明け」現象が起きた当時、王は都にいなかったため、観測者は「鄭」という場所を具体的に記録しました。これは、この記録を信じる根拠となります。

 これまでの分析から、「二度目の夜明け」は紀元前899年4月21日の朝、懿王が随行の官吏や将校たちと共に鄭に住んでいた際、観測官が日常的な観測(特に東の日の出方向)中に発見したと結論付けることができます。
二度目の夜明け」現象はそれほど強烈ではなく、普通の人であれば恐怖を感じることはなかったかもしれません。しかし、私たちの理論的および観測的研究によって証明されたように、専門の天文観測者を驚かせるには十分でした。観測者はその後、この現象を王に報告し、最終的に公式記録に記録しました。

 もちろん、「二度目の夜明け」の記録はかなり短いため、そこからの推論には限界があります。他の分野からの検証が必要です。このことは考古学や歴史の黎明期に特徴づけられる多くの諸問題であると云えます。



参考文献
1 Fang Shiming, Wang Xiuling, Edited Proof of the OM Version Bamboo Chronicle (in Chinese), Shanghai: Shanghai Ancient Book Publisher, 1980.(OM版 竹書紀年)
2 Liu Chaoyang, Examination of solar and lunar eclipses during the last years of Yin and the early years od Zhou (in Chinese), Proceedings of Chinese Cultere, 1944, 4(2): 85.(殷末期と宋末期における日食と月食の考察)
3 Liu Ciyuan, Zhou Xiaolu, An examination into the ancient record on "double dawn", Studies in the History of Natural Sciences,1999, 18(1): 48.(「双暁」に関する古代記録の検証)
4 Pang, K. D. , Computer analysis of some ancient Chinese sunrise eclipse records to determine the earth's rotation rate, Vistas in Astronomy, 1988, 31 : 833.(地球の自転速度を決定するための古代中国の日の出日食記録のコンピュータ解析)
5 Stephenson, F . R . , A re-investigation of the double dawn event recorded in the bamboo annals, Quruterly Journal of the Royal Astronomical Society, 1992, 33 : 91 .(竹の年代記に記録された双暁現象の再調査)
6 Liu Ciyuan, Zhou Xiaolu, Sky brightness of sunrise solar eclipse, Chinese Astronomy and Atrophysics , 1998, 39(3) : 278.1232 SCIENCE IN CHINA (Series A) Vol. 42(日の出日食の空の明るさ)
7 Liu Ciyuan, Zhou Xiaolu, 1997年3月9日北新疆における日食の空の明るさに関する報告, Proceedings of Solar Eclipse Obserwltbn of 1997, Beijing : Beijing Observatory, 1997. 
8 Levy, D. H. , Star trail, Sky & Telescope, 1992, 83: 695. 
9 Oppolzer, T . R ., Carwn of Eclipses, Vienna , 1997, Dover: Dover Publications Inc.
. , 1962.
10 Toshio, W., Canon of Solar and Lunar Eclipse in China, Jcspan and Korea, Xioqphan Book House, 1979. 
11 Newhall, X . X ., DE102 : a numericly integated ephemeris of the moon and planets spanning forty-four centurys, Astronomy and Astrophysics , 1983, 125 : 150. 
12 Stephenson, F . R ., Morrison, L. V ., Long-term changes in the rotation of the earth : 700BC to AD1990, Phil. Trans. R . Soc. Lond. , 1995, A351 : 165. 
13 Stephenson, F . R ., Momson, L . V ., Long-tenn changes in the rotation of the earth: 700BC to AD1980, Phil. Trans. R . Soc. Lond., 1984, A313: 47. 
14 Stephenson, F . R ., Said, S . S ., Non-tidal changes in earth's rate of rotation as deduced from medieval eclipse observations, Astronomy and Astrophysics , 1989, 215 : 181. 
15 Ge Zhen, Study of West Zhou chronicles by solar eclipses and munar phases, Publications of Guizhos Indwtrial College, 1980, 2: 81. 
16 Zhang Peiyu, Problems of celesial phenomenon and chronicles in West Zhou , Nanjing : Naying University Press, 1982, 371.

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【3】 プラネタリウムソフト Stellarium

三千年前の鳳翔「二度目の夜明け」を再現する


 

 

 



月の影が地球に円錐形に落ちる様子

(Grok Imagineによる3Dシミュレーション)



 

 



 古代日食の計算で、最も難しいことは、まさに「地球の自転速度(=ΔT)が現代とは異なっていたことです。


 紀元前1,000年頃までの ΔT
(=地球自転と原子時の差)の不確定性は、±20~40分(±7000~14000秒)にも達します。そのΔTの主な要因を、影響の多い順に並べると以下(1)-(5)のようになります。

 (1) 潮汐摩擦
(±10,000 ~ ±15,000秒: 月・太陽の潮汐で地球の自転が徐々に減速…海洋の形状・深さの過去変化が不明。 ΔTの主要因

 (2) 氷河後リバウンド
(±3,000 ~ ±8,000秒: 最終氷期終了後、地球はまだ変形中 …北米・北欧の氷の厚さ・溶けるタイミングが不確定

 (3) コア・マントルカップリング
(±2,000 ~ ±5,000秒: 液体の外核と固体のマントル間のトルク変動…10~100年周期の「decadal fluctuation」が過去にもあった可能性

 (4) 大気・海洋の季節変動
(±数百秒: 
エルニーニョ・季節風などの短期変動、古代では無視可能…古代では平均化される)

 (5) 大地震・火山噴火
(地球質量分布の瞬間変化: 数秒~数十秒、累積で数百秒…古代の大地震記録はほぼ皆無)

 これら要因が複雑に絡み、紀元前1,000年頃でもまだ ±30分(≈±11,000秒)の不確定性があるのです。



 一方、国際標準となっているNASAが開発した「月・惑星の暦」DE431/DE441を使うと、ー13,000年から17,000年までの、日食計算に必要な、月・地球・太陽間位置情報を誤差 数km程度に決定することができます。

 以上のことを纏めると、数千年前の日食計算行う時には、月と太陽と地球との正確な座標は得られます。その結果、月の影が精確に地球表面を覆ことが分かります。 しかし、地球の自転速度の変動蓄積のため、地球の回転角度(地球時刻)が決められません。そして月の影に覆われた地球表面の位置が正確に決められないのです。


 今回用いた、Stellarium
フランスで開発されている無料のオープンソースのプラネタリウムで、裸眼や双眼鏡で見える星空と同等なリアルな3Dの星空を表示するソフトウエア)は、特定の日付の天文事象を計算する機能を備えています
 
 先に述べたDE431/DE441データを、別にインストール(3.2Gバイト)すれば、Stellariumuで天体間の座標(位置)を、過去から未来にわたって高精度に求めることができるようになります。 

 しかし、ΔTの値は、「懿王元年、明方の日食」のような、何らかの手がかり「傍証」を用い、時間を補正してやる必要があるのです。





 「月の位置は、NASAの

 スーパーコンピュータで完璧に決まる。

 それでも 3,000年前の地球が、

 “ どれだけゆっくり回っていたか ” 

 今でも誰も正確には知らない ――

 だから私は、

 Stellariumの画面で、

 ΔTを1秒ずつ動かしながら、

 周の懿王が立っていた鳳翔の朝焼けを、

 自分の目で探し当てた。」







紀元前899年4月21日 午前4時
53 
 
「 日の出
前、暗いうちに日食が始まる
Stellarium-253-453453太陽:方位角/高度 +73°46'/-8°32'
日食開始






紀元前899年4月21日 午前5時
28 

「日の出 6分
前、 稜線が朝焼けに染まる」
Stellarium-253-528528太陽:方位角/高度 +78°53'/-0°48'





紀元前899年4月21日 午前5時
37 

「日の出 
3分後、
―― これが “一度目の夜明け” のはずだった!

Stellarium-253-537537太陽:方位角/高度 +80°09'/+0°45'





紀元前899年4月21日 午前5時
45

「日の出 
11分後、
―― 空が不自然にオレンジに染まり始める」
Stellarium-253-545545太陽:方位角/高度 +81°17'/+2°13'





紀元前899年4月21日 午前5時
50 

「日の出 
16分後、
―― 金環日食最大、明らかに夜明けより暗い空」
Stellarium-253-550550太陽:方位角/高度 +81°59'/+3°11'
金環日食






紀元前899年4月21日 午前6時
10 

「日の出 
36分後、''二度目の夜明け'' 
がくる!」
Stellarium-253-610610太陽:方位角/高度 +84°47'/+7°10'





紀元前899年4月21日 午前6時3
0 

「日の出 
56分後、明るさを取り戻す太陽
Stellarium-253-630630太陽:方位角/高度 +87°34'/+11°15'





紀元前899年4月21日 午前7時0 


「日の出 86分後、いつもの朝となる、
―― 日食は終った!」
Stellarium-253-700700太陽:方位角/高度 +91°48'/+17°24'
日食終了








 「懿王とその臣下たちは、3,000年前のその朝、

 “ 天が再び明けた ”と記録した。

 それは 決して比喩でも彗星でもなく、

 ただの金環日食だった。

 しかし 彼らにとって、

 それは “天の意志” だったかもしれない。

 私たちは今、無料のソフトひとつで、

 同じ空を見上げることができる。

 ―― 歴史は、星の下で繋がっている。」








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「二度目の夜明け」再現に採用した


Stellarium(v. 25.3)の計算条件と操作キーほか


(01) DE431OFF(デフォルト)、今回の計算には使用せず。 読者が3.2GBのDE431(NASAファイル)をインストールしないで気軽に計算できることを優先。またStellarium v25.3ではDE431がOFFでも、かなり精度が高く、DE431 ON(他は全て同条件)の計算と比較し、DE431  OFFでは、金環日食が約3分遅れで約0.5°高いことを確認した。 DE431 ONの結果を参考として示す、「日食開始 4h55m +74°04'/-8°08'、日の出 5h31m +79°18'/-0°55'、金環日食 5h55m +82°40'/+3°58'、日食終わり 7h1m +91°56'/+17°33'」。

(02) ΔT = 19,000秒(約5時間17分) ( a=19,000, b=c=0, y=1,820, n'=-26 ) 
    [設定画面 F2]->[環境設定]->[時刻]->[自転速度補正]->[アルゴリズム選択ΔT]->[ユーザー定義のΔT計算式]->[スパナ印]->[入力]

(03) 場所鳳翔(Fengxiang)、N 34° 31' 6.00''、E 107° 31'  42.01''高度820m 
    [現在位置 F6]->[観測場所]->[入力]、時間の進み具合は、画面下にマウスを移動し関連キーを押して調整する。

(04) 風景:ハリケーン(USA・ワシントン)
    [空と表示の設定 F4]->[表示]->[風景]->[ハリケーン]

(05) スクリプト使用せず(Grok3作成の「減光スクリプト」は、今回は明るい金環日食の為、減光効果なし)

(06) 年、月、日、時刻を設定紀元前899421日(部分)、時分秒(部分)は、898  4  21紀元の数字(899)には、1を足した値を入れる天文計算の国際的な決まりで0年を設定の為
    [日付/時刻 F5]->[入力]

(07) 全画面表示<- F11 ->部分表示地表表示 G大気表示 A、方位 Q、西経/赤緯 E、 方位角/高度 Z時間進行/停止 K時間を戻す(何回も押すと加速) J時間を進める(何回も押すと加速) L(全てトグルスイッチ)、マウスホイールで画面の拡大縮小(月も太陽も大きくなる)、マウス左クリック保持画面の移動(上下左右)、例えば、拡大して太陽を左クリックで太陽の全パラメータ表示(右クリックで消す)

(08) 他はデフォルトを使用。(マニュアルを DL し参照のこと)


(09) 下図は、日食の予測経路(蛍光青色線に挟まれた部分 )を示す。Google Earth ProにStellariumuデータ(kmlファイル)を読み込ませ、得られた図を転載した、誤差あり。

899edcol_20251127182101


(10
紀元前899年時点での現実的な不確定性
  (2025年現在の最良推定・Grok3まとめ


研究者・モデル

紀元前899年のΔT中央値
不確定幅(±1σ)

Stephenson et al. (2016) + 最新補正
ΔT21,900秒(約6時間5分)
± 7,500秒

Morrison et al. (2021)
ΔT20,800秒(約5時間47分)
± 9,000秒

IERS + GIAモデル(2024)
ΔT19,500秒(約5時間25分)
±11,000秒

本ブログ記事で筆者が鳳翔で合わせた値(2025) 
ΔT= 19,000秒(約5時間17分)
±数百秒(地平線付近)




(11) 別の証拠(懿王元年=前899年の補強)(Grok3まとめ)

Pangの日食計算以外で、懿王元年を前899年に固定する証拠は主に考古・金文・ 他の天文記録です。


証拠カテゴリ

詳細 信頼性
金文
(青銅器 銘文)

懿王時代の鼎・簋銘文に「懿王元年」の干 支(壬申)が記され、近隣の文王・宣王銘 文と連動。北京故宮博物院の「懿王簋」で 前899年と一致。

★★★★★ (物理証拠)
他の天文記録
Pangによると、「火星の停留現象が懿王元年を前899年に固定する証拠となる」。
この計算により前902〜前899年に火星が逆行停留(心宿付近)し、『史記・周本紀』の懿王期衰退記述と同期。 概要は
(12)を参照。

★★★★☆ (クロス検証)
考古年代
陝西省周原遺跡の懿王層(放射性)炭素14年代: 前 900±20年。日食計算の誤差範囲内。

★★★★☆ (科学的)
竹書紀年全体
懿王即位から幽王滅亡までの年数(前899〜 前771=128年)が、他の史書(『史記』) と一致。

★★★☆☆ (伝承)

→ 総合: 日食が「ピン!」と決めるけど、金文で「ロックオン」。夏商周繁本 (2,022年)もこれで前899年を維持。




(12) Pang & Yau (1,999年) p.283-286の内容 (Grok3まとめ)

Kevin D. Pang and Kevin K. C. Yau ,"Dating the Zhou-Chou Transition by the Five-Planet Conjunction and Mars Stationary Points", pp. 283-286

 この部分は、周 懿王期(前899年頃)の火星逆行停留を計算し、王室衰退の記述と同期させる核心です。原文のエッセンスを損なわず、短くまとめました。図3の軌道イメージもテキストで再現。

 p.283: 火星停留の概要 「周懿王(Yi Wang)の時代(前902-899年頃)、火星(Mars)が天秤座-蠍座で逆行し、2ヶ月間停留(stationary)した。これは中国古文献で『大火(Da Huo)』として目立った現象で、王室衰退の兆しとされた。『史記・周本紀』の『王室遂衰』と同期し、懿王元年を前899年に固定する証拠となる。

 意味: 火星が通常の東行軌道から逆行(西へ戻る)し、南中高度が高い位置で長期間留まる異変。古代中国では「大火」(心宿の火星象徴)と呼ばれ、干ばつや王朝衰えの予兆と解釈Pangの計算で、この現象が前902-899年のみ発生し、天再旦日食(前899年4月)と重なる。

 p.286: 計算詳細と図3火星の軌道モデル(VSOP87)で計算: 停留点の黄経(longitude)=210-240°、ΔT補正=340分。Fig.3(軌道図)で鄭(懿王の領地)から観測可能と確認。代替年(前871年など)は停留位置ずれで不適合。」
 意味: 天文学ソフトで火星の位置をシミュレーション。地球自転の古代差(ΔT)を補正し、鄭から「中天に留まる火星」が前899年だけ一致。

 Fig.3の軌道イメージ(テキスト再現):
902年: 火星東行 → 蠍座進入

↓ (逆行開始)
900年: 停留点 (南中高度50°、鄭から中天)
↓ (2ヶ月継続)
899年: 逆行終了 → 天秤座へ戻る
(鄭観測: 火星が心宿付近で「大火」輝く)








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日食のWebと文献


(21) stellarium

https://stellarium.org/ja/
-> 2025年11月26日現在、最新版は 25.3

(22) NASA Eclipse Web Site
https://eclipse.gsfc.nasa.gov/eclipse.html

(23) 日食 (Solar eclipse)(暦Wiki)・国立天文台
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/C6FCBFA9.html
-> 日食の種類、周期、月影、条件ほか


(24) HAN YanBen & QIAO QiYuan(中国科学院国家天文台) ''Records of solar eclipse observations in ancient China(古代中国における日食観測の記録)'', Science in China Series G: Physics, Mechanics & Astronomy, vol. 52, no. 11, pp.1639-1645, Springer (2009).
https://link.springer.com/article/10.1007/s11433-009-0241-8





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謝 辞

 本ブログ記事の記載にあたり、xAIのGrok3さんには、論文検索、内容のポイント(日本語要約)纏め、さらに天体計算ソフト「Stellarium」の導入、使用法、計算方法、理論、文章校正、動画用プロンプト作成、そして、日食時の空の明るさを再現するStellarium用スクリプトの作成、と詳細かつ有益なアドバイスを頂きました。 Grok3さんの協力無しに、この記事が公開されることはなかったでしょう!

 この場を借りて深く感謝いたします。

  ――そして、

 この記事を読んでくださったあなた。

 今、3,000年ぶりに同じ鳳翔の朝を、
 一緒に見てくださったことに、

 心から感謝します。





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2025年11月 8日 (土)

◆ 歌川芳員「中河内の雪女郎」は惟喬親王(これたかしんのう、844-897年)の逸話をもとに描かれた?…『交野町史』交野町(1963) ◆



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一寿斎芳員『百種怪談妖物双六』,和泉屋市兵衛,安政5.
国立国会図書館デジタルコレクション




 筆者は歌川芳員の描いた双六(すごろく)、「百種怪談妖物双六(むかしばなしばけものすごろく)」に登場する妖怪たちのショート動画を作成しています。

 その中に、「中河内(なかのかわち)の雪女郎 」という雪女が登場します。

 絵をみると、若い雪女が白い着物をまとい画面手前に、立ち姿で足がないように大きく描かれ、よく観ると雪女の視線の先の右側に小さな建物があり、雪女はその建物を見つめているようです。背景にはすぐ山が見えるので郊外であることが分かります。 なお「中河内」を調べると、現在では大阪府東部中央に位置する東大阪市、八尾市、柏原市の3市からなる地域を指すようです。

 雪女で検索すると幾つか情報が得られました、その中から「中河内の雪女郎」の可能性が高い話が平安時代初期の惟喬親王(これたかしんのう)の逸話です。


 平安前期、桓武天皇は水上交通の便がよく、仏教勢力の政治干渉がない長岡京(京都府長岡京市周辺、784年~794年)に平城京(奈良県奈良市、大和郡山市周辺)から遷都しました。 翌年の延暦四年(785年)には、交野(かたの、大阪府)の柏原(かしわら)の野(枚方市片鉾の西南)に郊外で星祭を行う土壇(郊祀壇)を築いています。これは北極星を祀って、平城京が長岡京へ無事に遷都できたことを神に感謝し祈るためでした。
 桓武天皇は交野(かたの)で、仏教を気にせず狩猟を大いに楽しんだようです。 この天皇の行動は直ちに皇族や宮廷人に影響を及ぼし「交野が原」を訪れる人びとは増えました。そして鳥獣が狩り尽くされることを防ぐ禁猟区(禁野)を設置しこれ以降、そこに別荘を建て狩猟を楽しむようになりました。

 文徳天皇の皇子・惟喬親王(これたかしんのう、844-897年)もその一人でした。 彼は宮廷にその志(こころざし)を得られず、今の枚方(ひらかたし) 渚に別荘を設け、在原業平(ありわら の なりひら)等とともに遊猟を楽しんでいました。


 惟喬親王が津田山
(大阪府枚方市「国見山」標高約300メートルの別名・津田城があった)で遊猟し、津田の畠田郷の円通寺(津田寺)門前で休息したとき、うやうやしく茶を捧げる若い女性がいました。 親王はその女性を忘れられなかったのか、翌年の猟遊時、再びここで休憩し「去年のはどうしたのか?」と尋ねました。 ところがその女性はすでに亡くなっていました。 寺の僧侶が気を利かして「雪女(ゆきおんな)」と答えると、親王は「か、さては消えたな」といわれたということです(津田尊光寺所蔵「当郷旧跡名勝誌」1682年成立、一部筆者編集)



 雪女妖怪、雪女幽霊は全国に多くの伝承があり、雪が降らない地域にもあります。 枚方
(ひらかた)も雪が降らない場所ではありませんが、作者の歌川芳員(うたがわ よしかず)が、どこから雪女の情報を仕入れたかのかは定かでありません。

 しかし芳員が「中河内の雪女郎」と名付けたのは、やはり平安時代の皇子・惟喬親王の逸話を念頭に描いたのではないでしょうか。 絵をよく観るにつけ、ますますその思いは確信に変わってきました。


雪女」は雪の精ともいわれ、白い着物をまとった美しい女性姿で描かれ、旅人を惑わしたり、人を凍らせたりすると言われる一方、人と心を通わせる物語も存在します。そして「雪女郎」は俳句の世界では冬の季語とされ、俳句歳時記(角川・1981年)では「雪女」の親季語(代表となる言葉)となります。

 

 

 




参考文献

(01) 一寿斎芳員『百種怪談妖物双六(むかしばなしばけものすごろく)』「中河内の雪女郎」,和泉屋市兵衛,安政5. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1310691

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(02) 『交野町史』第六章 平安時代99頁「惟喬親王の伝説」,交野町,1963. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/3021409/1/95

(03) [17]雪女 ~『狂歌百鬼夜興』に描かれた妖怪たち~・江戸妖怪界隈
江戸時代の妖怪たちを崩し字と共に分かりやすく紹介します♪(北見花芽、2024年01月11日18:53)
https://kihimihamame.blog.jp/archives/1561573.html

(04) 惟喬親王・Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%9F%E5%96%AC%E8%A6%AA%E7%8E%8B

(05) 藤沢衛彦 著『図説日本民俗学全集』3 (民間信仰・妖怪・風俗・生活編),115頁「三 雪女」・高橋書店,1971. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/12171947/1/77

(06) Google map より「円通寺
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%86%86%E9%80%9A%E5%AF%BA/@34.84517,135.7105406,10z/data=!4m6!3m5!1s0x60011b8d45738711:0x1bd359bc9da6d300!8m2!3d34.8226095!4d135.6850492!16s%2Fg%2F11h0g4kgw!5m1!1e4?entry=ttu&g_ep=EgoyMDI1MTEwNC4xIKXMDSoASAFQAw%3D%3D

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2025年10月26日 (日)

◆ 2025年・ブログを取巻く環境変化、「デジタルコレクション個人送信書籍の充実」と「生成AI利用の模索」…(2025/10/26) ◆

 

 

 

 

 

 





 2025年度、本ブログを取巻く環境と筆者対応、および将来予測を列記する。


 結論から言うと、
①  国会図書館デジタルコレクション個人送信サービス対応の書籍リンク作成、
②  YouTube動画投稿の再開、
③  生成AI利用の模索、
④  ①②③をブログサイトに反映する、
 以上4点。

 (今後の予定:2025年本ブログは、「個人送信書籍リンク整備」と「生成AIの利用模索」に重点化。今後本ブログの役割は、読者への漢文に対する興味の「維持進化」に繋がる記事作成と文献検索法さらにAI活用事例紹介などを進めていく。)






(01) [デジタルコレクション個人送信書籍のリンクの充実]

 2022年5月より国会図書館「個人向けデジタル化資料送信サービス」が開始された。これは、日本に住民票があり国会図書館本登録した人が享受できるサービスである。 筆者の結論は、全ての分野の調査学習研究者は、本登録必須である、ということである。もっと言えば、本来、税金を支払って日本の国に居住する者は、全て利用出来るようにするべきサービスである。それほど利用価値が高い、理由は各所で議論されているので省く。

 2025年は、かなりの時間を割いて「個人送信書籍のリンク」を11記事に分類作成した。 本登録した読者は役に立つと思う。今後適宜追加していく。まだ本登録を済ませていない人は、是非無料申請することをお勧めする。繰り返しになるがメリットが大変大きいのが国会図書館の「デジタルコレクション個人送信書籍サービス」である。
 本ブログにおいては、よく読まれる記事の参考文献は、個人送信で読める書籍リンクを、参考文献に継続的に追加している。



(02) [デジタルコレクション古典籍の画像処理の進展]

 従来、テキストファイルの検索のみ行われていた。 近年、画像ファイルからOCR(筆者推測・AI機能利用)を使った漢字あるいはかなのテキスト化が大幅に進み、従来では検索出来なかった「画像からの検索」が充実し始めている。
 これに伴い、より細かな文献検索ができるようになった。 数年前に検索した条件で、再度検索をかけると様々な情報が得られるようになっており、検索自体の質が大幅に向上している。 日々進歩し、使いやすくなっているのが、国立国会図書館デジタルコレクションである。

 本ブログにおいては、よく読まれる記事の参考文献は、再検索し直し、文献情報を継続的に更新している。



(03) [記事の流入元の変化]

 2025年以降、明らかにAI経由でブログ記事を見に来る読者が散見されるようになった。



(04) [SNS XにAIが標準装備]

 筆者が発信しているX(旧Twitter)は、イーロンマスク買収後、2024年12月6日より無料(利用回数に制限付き)でxAIによって開発された生成的人工知能チャットボットGrok-2がXに組込まれ、日常的にAIが使える環境になった。
 2025年2月17日、Grok 3にバージョンアップされ、筆者も利用開始、予想以上に優秀で色々な場面で使えることが分かってきた。 同年7月9日以降はGrok4も一部利用可能となる。2025年は各社開発競争が激化し、目まぐるしい速さでAIの性能が向上していくことを体感している。




(05) [生成AIで動画サービス開始]

 8月に入りGrok Imagine動画サービスが欧米に次いで日本でもWeb利用が可能と発表があった。実際は日本でWeb版Grok ImagineをPCで無料ユーザーも使えるようになったのは、有料ユーザーより一月ほど遅い9月第一週に入ってからである。さらに無料ユーザーは一時的に利用できるようにしたとのアナウンスがあった。
 無料ユーザーは利用回数制限付きで6秒動画を作成できるようになった。Grok Imagine動画は商用利用も可能である。他のAI動画サービスも数多くあるが、現時点で商用利用はできないものが殆どである。 
 筆者は2020年10月6日にYouTubeのアカウントを作成し一本の60秒動画を投稿し、その後休眠していた。




(06) [YouTube動画投稿の再開]

 YouTubeを再開。 2025年9月5日より6秒動画の投稿を開始、10月25日時点で525本の動画を公開した。ひと月ほどして動画のプロンプト(指示文章)の初歩がわかるようになった。 色々な動画を作成しているが、主目的はブログ記事に対応した動画を作成することである。
 動画はブログ記事のページにYouTubeよりリンクを貼り、読者が見えるようにした。この方法がブログサイト(niftyサーバー内部)の契約で決められたメモリーを節約する最も優れた方法である。



(07) [本ブログサイトのAI解析]

 IKAEBITAKOSUIKAブログのWeb上の位置付け、及び筆者の本サイト運営目的との確認を行うため、幾つか代表的な生成AIを使い、本ブログサイトおよび他の漢文サイトの解析を行った。その結果、本サイトに関して筆者の思惑とAI解析内容には高い相関が見られた。 詳細は省くが、本サイトのブログ記事では目的とする漢文を解釈するための参考文献が非常に充実している」というAIの認識は、筆者の目的と完全に一致した。今後も定期的に漢文サイト全般の解析を行う予定。



(08) [我が国独自の古代中国語翻訳技術「訓読」の将来予測]

 生成AIに原漢文を訓読および日本語翻訳させた。 例数は少ないが、次のことが明らかとなった。
 AIの訓読は我が国特有の古文由来の言い回しなどは、現時点では苦手だが、基本的な辞書に見られる訓読文が8割程度得られることが分かった。 筆者は この理由を、単にWeb上で入力されている訓読文がテキストベースの文献に限られているのが原因であると考えた。 国会図書館などに残されている昔の漢籍書の画像ファイルの訓読文がテキスト入力されていれば(或はAIが直接画像を読み込めるようになれば)、非常に近い将来、漢文を訓読することは殆んどAIによって解決される問題である。 
 したがって漢文を現代日本語に訳すのも簡単で、多くの人は古代中国の漢文を小説のように読み、その内容をじっくりと鑑賞することが出来るだろう。これは日本語以外の外国語の翻訳・通訳
もまったく同じ状況である。
 これはタンパク質のフォールディングがAIで完全に予測できたことを考慮すれば、訓読に関しては単に需要が少ないため現時点で精度が上がらないだけであると言える。 

 筆者の個人的な予測であるが、これからの日本人は学生の時に漢文の基本として訓読を勉強するだけに留まり、その後さらに訓読技術を磨く人は、大学の漢文を専門に研究する人が主となり、漢文を訓読にして理解する人間は(今も少ないが)今後かなり少なくなるだろう。 これは筆者自身がある程度、門外漢として訓読に時間を費やしてきた経緯を鑑みても、これから漢文に単に興味があるという人は、その時間を別の本質的な課題の解決に使うようになると考えられる。 もちろんわが国で磨かれてきた訓読技術は今後も無くならないし、訓読を理解できることは重要なスキルであることは変わらない。
 英語を瞬時にAIがスマホで通訳できるならば、英語をしゃべる能力は人間に必要ないか、というのと同じである。
 AIを活用して自分の最も好きな事に、時間をかけることが出来る贅沢な時代がくるということである。




(09) [プロフィール頁の構成と英文を修正]

 これは下記リンクを参照のこと。

https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/about.html



(10) [ブログサイトの主な変更箇所]

 (01)-(09)を踏まえ、改変・改修・
追加した主要部分を以下、画像で紹介する。


 20251026

★ブログトップに、「情報手段として古代漢文・訓読を嗜[たしな]む」を追加し、本ブログの目的を明確にした。




 Photo_20251026154301


★ブログ左枠内に、「YouTube」、「X」、「Twitter」へのリンクを明示した。






X 

★Xのプロフィール欄に、筆者著書「身近な言葉の意外な由来」、ブログ「ココログ」、YouTube動画「YouTyuG」へのリンクを明示した。






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YouTube トップ画面のイラスト。





★以下、YouTube説明画面(二画像)

 Youtyug1_20251026155001

 

 Youtyug2







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★ブログ記事の末尾に、「いいね♡」を付けられるようにした。






 De

★ブログ右枠内のリンク案内に、「〓送信サービスde閲覧」を追加した。





 Yt

ブログ右枠内に、◆『漢籍蟲洞』->古典「漢文」・「漢籍」の、「原文」「書き下し文」「現代語訳」「英訳」ほか…水先案内 ◆
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-76a2.html

★上記記事への注目度を高める動画を追加した。

 

 

以上

 

 

 

 

 

 

2025年10月17日 (金)

◆ 浮世絵画、月岡芳年『月百姿』より「鶏鳴山の月・子房」と四面楚歌 ◆





 

 

 江戸中期に書かれた『通俗漢楚軍談』の名場面の一つに、四面楚歌の故事で有名な、漢軍・子房(張良、?-紀元前186年)が鶏鳴山の上から蕭(しょう)を吹き、抵抗する楚軍に多彩な笛の音で、精神的な揺さぶりをかけ、戦意を喪失させる、「張良 蕭を吹いて楚の兵を散ず」がある。

 幕末から明治初期に活躍した浮世絵師・月岡芳年(1839年-1892年)は、浮世絵画『月百姿』の一つとして、「鶏鳴山の月 子房」を描いた。
 じつは『通俗漢楚軍談』は、
(明)甄偉の小説「西漢通俗演義」の翻訳本である。 江戸中期に書かれたいわゆる軍紀小説である



 中国の秦末、項羽ひきいる楚軍と、劉邦ひきいる漢軍とが戦い雌雄を決した。
 紀元前202年の「垓下の戦い」は、当に、それまで二者で争われてきた楚漢戦争の最終決戦である。 

 現代では 「四面楚歌」という言葉は「まわりが敵や反対者ばかりであること」として知られている。 実は、この言葉は「垓下の戦い」 で生まれた。
 
 破れた項羽の楚軍は、漢軍に幾重にも囲まれ窮地に陥っていた。 すると、夜になり、四方を囲む漢軍から故郷の楚の歌が聞こえてきた。 項羽は思った、「漢軍はすでに楚を占領してしまったのか、我々を囲む敵には楚の人間がなんと多いことか!」と。


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夜聞漢軍四面楚歌、項王乃大驚曰、「漢皆已得楚乎。是何楚人之多也。」

 夜、漢の軍の四面に 楚歌する(四面楚歌)を聞き、項王(項羽)乃ち大いに驚きて曰く、「漢、皆 已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや」と。
…『史記』項羽本紀

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張良(かね)てより数百人に此(こ)の歌を教え、此処彼(ここかし)に乱れ散りて声々に歌を自ら蕭(しょう、笛)を吹いて鶏鳴山(けいめいさん)より九里山を上り下りて数十返奏しけるが其の響き清和にして甚だ悲しく怨むるが如(ごと)く訴うるが如く一曲は高く一曲は下(ひく)く一声は長く一声は短くして五音乱れず六律よく和(やわら)いで露の梧桐に落つるが如く~(中略)~楚の陣中大将も士卒も之を聞くに心乱れ落つる泪(なみだ)は雨の如く頻(しき)りに故郷の方を詠(なが)めやり地の上に倒れ臥せて口々に申しけるは是(こ)れ必ず上夫我等(われら)を憐れんで命を忍び寒気を凌(しの)いで空陣を守るも若(も)し漢の兵一たび攻め入れば皆忽(たちま)ち死に果てて再び父母妻子の面(おもて)を見ること触れず~。
…『通俗漢楚軍談』「張良 蕭を吹いて楚の兵を散ず

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参考文献


(01) 夢梅軒章峯, 望京南徽庵 著『通俗漢楚軍談』巻之12-13「張良 蕭を吹いて楚の兵を散ず」、34頁・沈香閣,明15.3. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/879030/1/38


(02) 石川核 校訂『漢文叢書 通俗漢楚軍談 有朋堂文庫』巻之十二、583頁「張良 蕭を吹いて楚の兵を散ず」・有朋堂書店(1912)・Internet Archive
https://archive.org/details/tszokukansogunda00bbaiuoft/page/152/mode/2up


(03) ◆ 劉邦を帷幄の計で常勝させた張良は日本書紀に書かれた聖德太子「憲法十七條」第五に登場していた!(その-[2/3])…『文選』李蕭遠「運命論」 ◆
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/-23-7acc.html


(04) ◆ 項羽と劉邦との「垓下の戦い」最終決戦前夜、「力拔山兮、氣蓋世。時不利兮、騅不逝。騅不逝兮、可柰何。虞兮虞兮柰若何!」…『史記』項羽本紀「四面楚歌」
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-25c8.html


(05) 芳年『月百姿 鶏鳴山の月 子房』,秋山武右エ門,明治19. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1306352

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2025年9月 3日 (水)

◆ 柔らかな肉料理「豚の角煮」の元となった中国の「トンポーロー・東坡肉」◆


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 トンポーローの名前で知られる中華料理、日本では豚の厚い皮を剥いて小さく四角く切って豚の角煮としてよく食べられる。
 東坡肉をGrokに聞くと…


東坡肉トンポーローの歴史は、中国の北宋時代に遡ります。この料理は、著名な政治家・詩人である蘇軾(そ しょく、Su Shi、1037-1101年)、通称東坡居士に由来します。蘇軾は左遷され、黄州(現在の湖北省)に赴任した際、現地の貧しい人々が羊や牛の肉を買えず、安価で手に入る豚肉を主食としていたことに気づきました。しかし、当時の調理法では脂身が強く、硬い肉質が問題でした。蘇軾はこれを改善するため、豚肉を長時間煮込み、余分な脂を落としつつ、コラーゲンを残して肉を柔らかくする調理法を工夫しました。この方法で作られた豚の角煮は、歯のない老人でも口の中でとろけるほど柔らかく、栄養価も高いものとなり、広く愛されるようになりました。地元の人々はこれを「東坡さんの豚肉」として称え、「東坡肉」と名付けました。この料理は後に中国各地に広まり、特に江南地域や四川料理で発展しました。現在では、東坡肉は蘇軾の知恵と文化遺産を象徴する伝統的な料理として、長い歴史とともに親しまれています(Grok)

 

 さて、中国の著作家・徐珂(じょ か、Xú Kē、1869–1928年)は清の歴史の百科事典と云われる書物『清稗類鈔』を1916年に残した。その中の、「飲食類三」に「8 東坡肉」という項目があり、次のように記されている。


東坡集有食猪肉、詩云、
  …東坡集に「猪肉を食う」有り、詩に云う、

「黄州好猪肉、価賎如糞土。
  …「黄州(今の湖北省黄岡県) 猪肉(ちょにく、豚肉)好し、価 賎(やす)きこと糞土(価値のない)の如くす。


富者不肯喫、貧者不解煮。

  …富者は肯(あ)えて喫(くら)わず、貧者は煮る解(あた)わず。


慢着火、少着水、火候足時他自美。

  …(ゆる)く火を着け、少しく水に着け、火候(火加減)足る時、他 自から美(うま)し。


毎日起来打一椀、飽得自家君莫愛。」。

  …毎日起来(立って)して一椀(一盛り)を打ち、自家(自己)を飽き得れば、君 管(か)くること莫かれ。」と。


今膳中有所謂東坡肉者、即本此。

   …今 膳中に所謂(いわゆる)東坡肉有り、即ち本は此れなり。


蓋以猪肉切為長大方塊、加醬油及酒、煮至極融化。

   …蓋し以て猪肉を切り長大方塊と為し、醬油及び酒を加え、煮極めて融化(溶け変化)するに至る。


雖老年之無齒者亦可食。

   …老年の歯無き者と雖も亦た食する可し。

 

 


 柔らかい豚の角煮を食べ、酒を飲みながら、蘇軾の詩を詠むのも又 一興である。

 




参考文献

「デジタルコレクション」で蘇東坡といわれた蘇軾の詩を楽しもう!…『続 国訳漢文大成 蘇東坡詩集』ほか無料電子書籍◆
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-eb9a.html
-> (401_a) 徐珂『清稗類鈔』飲食類三「8 東坡肉」(1916年)・維基文庫




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-> 中秋節に食べられる伝統的な円形の菓子・月餅(げっぺい)


油条の由来は岳飛を無実の罪で裁いた南宋の政治家・秦檜夫妻だった!? ◆
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-> 湯条(ゆじょう)は中華揚げパン



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2025年8月25日 (月)

◆ 九月九日 重陽節に、菊花賦(経国集)をよむ ◆










 九月九日 重陽節が近づいてきました。

 平安前期の漢詩文集『経国集』より嵯峨天皇(786-842年)重陽節 菊花賦 一首」を紹介します。

 


 白蔵の気 季(おわ)り、玄月 天高し。 霜雰(そうふん)凛凛として、商風 騒騒たり。 物の理を盛衰に観(み)、造化の時を異にするを知る。 林は何(いづれ)の樹か揺落せざらん。 原は何れの艸(くさ)か具(つぶさ)に腓(や)まざらん。

 豈に、芳菊の神奇は枯(こ)に在りて独り慈(しげ)り、蔓延 靃靡(すいび)し、岸に縁(よ)り坻(てい)に被(おお)い、華実は星羅し茎葉は雲布し、香は朝風に飄(ひるがえ)り色は夕露を照らすに若かんや。

 是に於いて、日は重陽に当たり、華堂に高宴す。 正に玳蓆(たいせき)を開き、傍に賢良を引く。 陽に桓景に随いて古を訪(と)う、陶潜に就いて以て觴(さかずき)を命ず。 賞心を翰墨(かんぼく)に摛(の)べ、絲竹の清商を聴く。

 時に衆芳を彫(きざ)み、寒菊 咲き、殊(こと)に蓊欝(おううつ)し、独り照曜す。 或は素(しろ)く、或は黄に。 満庭 芬馥(ふんぷく)たり。

 淑媛(しゅくえん) 望みて歩を移し、妖姫 歓びて目を属(み)る。 弱腕を攘(かか)げて嬾(らん)を採り、織手(おりて)を擢(あ)げ以て花を摘(つ)む。 珠顔 俄爾(がじ)として艶を益(ま)し、雲髻(うんけい) 忽焉(こちえん)として釵(さい)を重ぬ。 採摘を盈把(えんは)に期(ちぎ)り、爰(ここ)に日斜に逍遙す。

 亦た、鍾生(しょうせい)は其の五美を称し、屈子は其の落英を飡(しょく)する有り。 神仙の霊薬を翫(もてあそ)び、塵俗の世情を忘る。 鴈序を薄晩に感じ、落葉を秋声に傷(いた)む。 時に長年の歎(なげ)き多きに属(つ)け、還(かえつ)て斯(こ)の華の齢(よわい)を延(のぶ)るを欣(よろこ)ぶ。

 



 尚、時代背景、歴史、単語、読み等 詳細な解説は関連記事  ◆九月九日 重陽には、茱萸を身につけ、ヨモギを食べ、菊花酒を飲み、長寿を願った…葛洪『西京雑記』巻第三 ◆ を ご覧ください。



以下、原漢文。

白蔵気季。玄月天高。霜雰凛凛。商風騒騒。観物理於盛衰兮。知造化之異時。 林何樹而不揺落。原何艸而不具腓。

豈若。芳菊神奇。在枯独慈。蔓延靃靡。縁岸被坻。華実星羅。茎葉雲布。香飄朝風。色照夕露。
於是日当重陽。高宴華堂。正開玳蓆。傍引賢良。陽随桓景而訪古。就陶潜以命觴。 摛賞心於翰墨。聴絲竹之清商。
于時衆芳彫寒菊咲。殊蓊欝。独照曜。或素或黄。満庭芬馥。
淑媛望兮移歩。妖姫歓兮属目。攘弱腕而採嬾。擢織手以摘花。珠顔俄爾益艶。雲髻忽焉重釵。期採摘於盈把兮。爰逍遥乎日斜。
亦有鍾生称其五美。屈子飡其落英。翫神仙之霊薬。忘塵俗之世情。感鴈序於薄晩兮。傷落葉乎秋声。時属長年之多歎。還欣斯華之延齢。

 




関連記事

◆ 九月九日 重陽には、茱萸(かわはじかみ)を身につけ、ヨモギを食べ、菊花酒を飲み、長寿を願った…葛洪『西京雑記』巻第三 
https://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2021/03/post-15d759.html
-> 本記事、参考文献(15)をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

2025年8月23日 (土)

◆ メモ:睡虎地秦簡 ◆



★「睡虎地秦簡について簡潔にまとめられている書籍。


(1_JL_個人送信)籾山明 著『秦の始皇帝  多元世界の統一者 (中国歴史人物選 第1巻)』 165-188頁、第七章「竹簡は語るー秦の法制と社会」白帝社 (1994.9) 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/13221799/1/87

以上


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https://www.youtube.com/shorts/_uGcKotl4aA






 






 

2025年7月14日 (月)

◆ 筆者が感激した音楽家と曲を紹介🐈 ◆


Photo_20250714170901
2024年後半~ 2025年上半期
筆者が感激した音楽家と曲を紹介🐈

(=^・^=)

 

(1) メイリア 歌手
-> 曲は「歳月
https://www.youtube.com/watch?v=i_r9lPWZo5s

(2) 826aska エレクトーン奏者
-> 曲は「スター・ウォーズ
https://www.youtube.com/watch?v=IlyHGksRAh0&t=684s

(3) Jacob Koller ピアニスト

-> 曲は「夢やぶれて
https://www.youtube.com/watch?v=ZKwZUzwOals


(=^・^=)


以上


«◆ 中国の故事 はなしの話 知ってる? ◆

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